三國神社
「三国祭」でも知られる、三国湊の発展を見守ってきた社
地元商人や住民が力をあわせて建立した門
東尋坊から南東方面へ車で約12分、かつて北前船の寄港地として賑わった三国湊の一角に、三國神社はある。到着すると、棟高約13mの随身門(ずいしんもん)がまず目に入る。2階造りで上層に切妻の屋根があり、このような形の門は楼門(ろうもん)と呼ばれる。北前船貿易で財をなした船主らが建築費を出し合い、1870年(明治3)に完成した。門の両側に据えられている随身像は、地域住民が寄進したと伝えられている。随身門をくぐると、周辺の住宅地と隔絶したように静かで厳かな空間が広がる。参道の左側には、16代福井藩主だった松平春嶽が奉納した「木立神社奉納太刀銘守次(もりつぐ)」「木立神社立願文」といった県指定文化財が収蔵された宝物殿と、坂井市指定文化財の神馬像を安置した神馬堂が並び、そのまま参道を進んだ先に拝殿がある。清楚な心持ちで参拝しよう。
約500年間、地域に親しまれてきた「おさんのさん」
三國神社の起源は1540年(天文9)にさかのぼる。三国湊のある住人が、近隣を流れる兵庫川から大山咋命(おおやまくいのみこと)の御神体を拾い上げ、かつてこの地に存在した正智院という寺院に祀った。それから4年後、正智院の境内に大山咋命を祭神とする小さな神社が建立されると、信仰を集めるようになっていった。これがのちに三國神社となる。現在も地域住民が三國神社を「お山王(さんの)さん」と呼ぶのは、大山昨命の別名が山王権現だからだ。江戸後期の天保年間(1830~1844年)に入ると、三国湊の豪商・内田惣右衛門が、飢饉で困窮する人の働き口をつくることを目的に境内整備に着手し、その事業のなかで現在の拝殿が完成した。明治期には、近隣にあった水門宮の祭神・継体天皇を合祀した。三國神社には境内社として木立神社と八幡神社等があり、それぞれあつい信仰を集めている。
巨大な武者人形が街なかを巡る熱気に満ちた祭礼
毎年5月19日から21日まで行われる三國神社の例大祭「三国祭」は、福井県の無形民族文化財に指定されている。巨大な武者人形を乗せた高さ約6mもの山車(やま)が、街なかを巡行するのが祭の目玉だ。山車は300年ほど前から見られるようになり、三国湊の発展とともに規模が拡大。北前船貿易で隆盛を極めた明治初期頃は、大きさが10m以上あったと伝えられている。三国湊には現在、山車が18基あり、このうち当番の年にあたる6基が「中日祭」の20日正午、三國神社の鳥居前に集結し、街なかへと繰り出していく。笛や三味線、太鼓の音色が響くなか、人波をかきわけながら細い路地を進んでいく山車の様子は、圧巻そのものだ。
スポット詳細
- 住所
- 福井県坂井市三国町山王6-2-80 地図
- エリア
- あわら・坂井エリア
- 電話番号
- 0776812514
- 時間
- [窓口・電話受付]9:00-16:00
- 休業日
- 無休
- 料金
- 無料
- 駐車場
- あり
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 英語メニュー
- なし
- 滞在目安時間
- 0-30分
- 車椅子での入店
- バリアフリー化はされていません。
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 歴史的な神社
- 三国駅から少し離れている。今は静かな三国町だが海運業で栄えた時代の面影がある大きな神社です。広い敷地に多くのやしろがあります。門前にはお店もあり散策も楽しめる。
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- 三国にある神社
- 芦原温泉に宿泊したことで付近にある神社を探したところ行き着きました。静かな場所にあり非常に人も少なくゆっくりとお参りさせていただきました。大山昨命(おおやまくいのみこと)と継体天皇を祀る神社。ケヤキをはじめ大樹が生い茂る壮厳な境内には県指定文化財の太刀と立願文、実物大の木造彩色の神馬が安置されています。毎年5月には巨大な武者人形が町内を練り歩く三国祭りが行われます。
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- 厳かな雰囲気
- 福井県三国に立派な神社がありました。江戸時代に北前船の寄港地だったこともあって、当時はとても栄えていたのだなと思います。敷地も思いのほか広くて、神門や拝殿も立派なものです。
TripAdvisorクチコミ評価
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