倶利伽羅峠

桜の名所

1000年超えて往来が続いた加賀と越中をまたぐ幹線道

石川と富山の県境に位置する倶利伽羅峠には古代、都に通じる官道・北陸道が整備され、幹線道として利用されてきた。とりわけ、「倶利伽羅越え いにしえの街道」は、明治に別ルートの国道が整備され旧道になったことで、往時の姿が色濃く残る。

倶利伽羅峠を越えていく古代の幹線道・旧北陸道 倶利伽羅峠を越えていく古代の幹線道・旧北陸道

いにしえの姿のままの峠道

旧北陸道は、平安末期に倶利伽羅峠の戦いの舞台となり、江戸時代には加賀藩が参勤交代の街道として利用したことなどから、歴史的・文化的な価値が評価され、国交省が1996年(平成8)に石川県津幡町竹橋から富山県小矢部市桜町までの約12.8kmを全国12か所の「歴史国道」のひとつとして認定している。なかでも、倶利伽羅峠を越えていく、 倶利伽羅公園から埴生(はにゅう)護国八幡宮までの約3.7kmは、約6000本の八重桜と古代からの姿を今に残すハイキングコースとして親しまれている。

かつて旅人が往来した旧道を散策できる かつて旅人が往来した旧道を散策できる

峠越えの前にまず石段の頂上へ

峠越えの起点となる倶利伽羅公園は、倶利迦羅不動寺から東に約140mに位置する。車でここを訪れたなら、公園の駐車場を利用しよう。峠越えの前に、まず足を向けたいのが、公園駐車場の向かいから倶利伽羅峠の最高峰まで続く石段だ。100段近い石段を上り標高277mの頂上まで上りきると、前田家5代綱紀が寄進した4つの石殿、五社権現がある。石殿は4つしかないが、倶利迦羅不動寺の境内にある手向(たむけ)神社を加えることで、五社権現と呼ばれている。

倶利伽羅峠の最高峰に立つ五社権現の4つの石殿 倶利伽羅峠の最高峰に立つ五社権現の4つの石殿

芭蕉や十返舎一九も来た道

頂上から戻ったら、道なりに東へ進もう。300mほど進むと、松尾芭蕉がこの地で戦った木曽義仲に思いを馳せて詠んだ「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」の句碑が立つ。この句碑からさらに220mほど行くと、山道への入り口があり、ここからは虫よけスプレー必須となる往時の姿のままの北陸道が山の中へ延びる。とはいえ、この旧道はおよそ500mで舗装された道路に戻ってしまい、さらに約220m先に再び山道へ入る分岐がある。二度目の山道を230mほど進むと、かつて峠の茶屋として賑わった天池茶屋跡だ。往時の茶屋の賑わいは相当なもので、1826年(文政9)に越中・加賀を旅した十返舎一九は、「広く清麗にて、東海道の茶屋の如く、この街道には、珍しく良き茶屋にて、砂糖餅名物なり」と記している。

1689年(元禄2)の旧暦7月15日に当地を訪れた松尾芭蕉の句碑 1689年(元禄2)の旧暦7月15日に当地を訪れた松尾芭蕉の句碑

最後も石段を100段超上る

二度目の山道は道の中間辺りで上りから下りに変わり、計約1.4kmを歩ききると、現代の舗装道に戻って、歩みを進めるほど景色は山間地から市街地へ変わっていく。このアスファルトの道を約1.4km進むとゴールの埴生護国八幡宮だ。103段もの石段を上った先にある埴生護国八幡宮の創建は養老2年(718年)とされ、加賀藩が寄進した本殿、釣殿、幣殿、拝殿はいずれも国の重要文化財に指定されている。

前田家3代利常が寄進した埴生護国八幡宮の拝殿 前田家3代利常が寄進した埴生護国八幡宮の拝殿

スポット詳細

住所
富山県小矢部市埴生
電話番号
0766681062
時間
[倶利伽羅峠]24時間
[石動駅観光案内所]10:00-18:00
休業日
[倶利伽羅峠]無休
[石動駅観光案内所]月(祝の場合は火)
駐車場
あり(30台)
クレジットカード
不可
電子マネー/スマートフォン決済
不可
Wi-Fi
あり(TOYAMA Free Wi-Fi)
コンセント口
なし
滞在目安時間
30-60分
備考
※電話番号は石動駅観光案内所宛てです。

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

最寄り

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