菅笠問屋の町並み
地域住民の心のよりどころとなっている菅笠を感じる町
迫力の世界で2番目に大きい菅笠
菅笠問屋の在りし日の姿は、通りの入り口にある雅楽資料展示分室(雅楽の館)で見ることができる。1931年(昭和6)に移築された菅笠問屋で、大きな梁がせり出したぜいたくな造りは、当時の隆盛ぶりがうかがえる。屋内には菅笠が展示販売されており、角笠、富士笠、胴深笠、一文字笠、次郎長笠、市女笠、三度笠など、伝統的な形をした菅笠だけでなく、サンバイザーや帽子などスタイリッシュな菅笠もある。雅楽の館から約1km、小矢部方面へ向かうと高岡市役所福岡支所があり、その玄関先には、世界で2番目に大きい菅笠が展示されている。直径1.81mの菅笠は見上げるほどで、これほどの大きさになると高い技術力が必要とされる。ちなみに世界でいちばん大きな菅笠(1.83m)は、高岡地域地場産業センターにある。
明治時代に笠問屋は60戸
高岡市福岡町は、約400年の歴史をもつ日本一の菅笠産地だ。福岡町の菅笠づくりは、中世に京都から伝わったとも、近世に伊勢国から伝わったともされる。スゲという植物を使う菅笠は、田植えなどの農作業で用いられるなど、日差しを和らげ、雨をはじくことから、かつては暮らしの必需品だった。江戸時代になると加賀藩のあと押しもあって一大産業へと発展した。中期までは仲買人が金沢へ運んで販売していたが、後期には福岡町に笠問屋ができ、直接販売するようになった。明治時代には笠問屋は60戸にまで増え、年間生産量は300万枚に達したという。スゲの栽培から流通までを一貫生産したことで、東北から九州まで販路を広げ、現在でも全国の約90%のシェアを誇っている。
菅笠の頭頂部の仕上げ体験も
国の重要無形民俗文化財に指定されている菅笠づくり「越中福岡の菅笠製作技術」は、スゲの栽培から始まる。秋に植え付け、翌年の7月には人の背丈以上に伸びる。刈り取ったあと、天日干しをして乾燥・脱色する。ここからが本格的な製作工程である。おもに竹の「笠骨づくり」は男性、針仕事で菅を縫っていく「笠縫い」は女性が担当する。竹で骨組みを作り、菅を巻き付けていく。さらにその上から菅を重ね、糸で形を整えていけば、菅笠の完成である。高岡市福岡歴史民俗資料館では、菅笠の頭頂部の簡易な仕上げ体験ができ、隙間がなくきっちりと編み込まれているのがわかる。今では菅笠問屋の町並みは、ほとんど失われているものの、人々の心の中には菅笠が誇りとして刻み込まれている。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン