高昌寺(曹洞宗の古刹)
歴史情緒あふれる町並みを見守る曹洞宗の古刹
八日市護国地区の北の丘陵地にたたずむ曽根家の菩提寺
内子・五十崎ICを下りて車で約5分。昔ながらの浅黄色の土壁や蔵が残る町として有名な「八日市・護国の町並み」の北の最上部にあるのが「高昌寺」だ。内子の町とここに暮らす人々を見守るようにたたずむ。その歴史は、今から580年前の1441年(嘉吉元)までさかのぼる。防州(現、山口県)泰雲寺の覚隠禅師門下の十哲であった大功円忠大和尚が、現在の内子町松尾地区に寺院を創建し、浄久寺と称したのが高昌寺の起こり。その後、1533年(天文2)に現在の地に移された。寺は、曽根城主曽根高昌(そねたかしげ)公の帰依を受け、以来曽根家の菩提寺として栄えた。また、内子の北の丘陵地という立地から、門前には市が立つなど繁栄を遂げ、24カ寺の末寺を開創した。1556年(弘治2)に高昌公が逝去したとき、その諱(いみな)をとって寺号を高昌寺に改称。1737年(元文5)には、山号は護国山と改められ、護国山高昌寺と改称された。
「伊予のミニ永平寺」や「楠寺」など数々の呼称で知られる
山門をくぐると、中雀門(ちゅうじゃくもん)があり、正面に大雄殿(だいゆうでん)、その左右に仏殿がある伽藍配置。曹洞宗の本山、永平寺に似ていることから、「伊予のミニ永平寺」と称される。特に均整のとれた楼門、中雀門、回廊3列の石段、禅堂、勧学寮、鎮守堂などが見事に互いに調和し、近郷の寺には見ることのできない建築物である。また、高昌寺は別名「楠寺」とも呼ばれている。これは、1807年(文化4)、火災により堂宇や宝物などのほとんどを焼失したが、その再建時に大洲藩主2代加藤泰興(かとうやすおき)公から良質の楠の巨木を賜り、本堂の戸、柱、天井、欄間、廊下などの随所に使用したためだ。再建した本堂に祀られたご本尊聖観世音菩薩像は、焼失を免れた貴重な仏像であり、現在も当時のままの姿で安置されている。
長さ10m、重さ200tの巨大な石造涅槃仏も見どころ
地元では「うちこのねはんさん」の愛称でも親しまれる高昌寺では、毎年3月15日に「ねはんまつり」が行われている。約250年前に始まった法要だが、現在では内子の春祭りとして、稚児行列や餅まきなどが催され、地元で愛される行事だ。その「ねはんまつり」にちなみ、1998年(平成10)には石造涅槃仏を建立。中国の敦煌にある莫高窟の涅槃仏を模したとされるこの石像は、長さ10m、高さ3m、重さ200tにも及び、お釈迦様の最後の教えである八戒「少欲、知足、遠離、精進、正念、定、智慧、不戯論」を身近に感じて実生活に生かせるようにと、山門前の覆殿に安置されている。安らかな顔で休まれるお姿は、いつでも参拝でき、触れることができる。ぜひ一度、訪れてみてはいかがだろうか。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
クチコミ
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- 満開の桜に彩られた山門
- 内子駅から徒歩30分ほど。内子の古い町並みのはずれにある。1441年に浄久寺として創建した曹洞宗の寺院。1533年に現在地に移転。内子のある喜多郡の領主であり、代々の菩提寺としていたった曽根高昌の没後(1556年)、その名を取って現寺号に改称。本尊は聖観世音菩薩。新四国曼荼羅霊場の第五十番札所。山門(楼門)手前には大きな涅槃仏(1998年建立)を安置。山門をくぐると左右の御堂をつなぐ回廊に中雀門...
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- 町並み保存地区の一番奥にある永平寺を本山とする禅宗のお寺です
- 町並駐車場の直ぐ横にある、永平寺を本山とする立派な伽藍を持つ禅宗のお寺です。山門の横に石でできた大きな涅槃仏があります。気軽に参拝させて頂けるので、町並み保存地区の散策の際、足を延ばしてみてください。
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- 歴史を感じるお寺
- 内子の重要伝統的建造物群保存地区を抜けて少し行くと高台にあるお寺です。山門のすぐ前には大きな涅槃仏があり、これを目当てに訪れる観光客がいました。お寺自体も立派で見ごたえがありますが、観光客は少なめで、ゆっくり見学できました。
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