元町洋菓子めぐり
神戸・みなと元町エリアに点在する洋菓子店の歴史をひも解く
開港をきっかけに異国文化が根付いた元町
JRと阪神の元町駅から南へ歩くと、賑わいのなかにもどこか落ち着いた雰囲気の漂う神戸元町商店街が見えてくる。この商店街を中心として、みなと元町エリアには古くから洋菓子の店が集まっている。さかのぼること平安時代、現在商店街がある道は山陽道として整備された京都と下関を結ぶ重要な街道として発展、江戸時代には220戸が軒を連ねていた。明治になり神戸が開港すると、すぐそばに外国人居留地ができたことで街道沿いにも人が集まり、1874年(明治7)に「元町通」と改称。さまざまな異国文化とともに西洋の洋菓子が地域に根付き、飛躍的に進化していった。
銘菓「ゴーフル」はフランス菓子がルーツ
なかでも1897年(明治30)の「神戸風月堂」の創業は、そのきっかけともなった老舗のひとつ。1893年(明治26)、初代・吉川市三氏は、東京の「米津風月堂」で菓子作りの修業を積み、暖簾分けの形で神戸に開業。当時としては常識を破った欧風建築の店構えは、当時の目抜き通り・元町界隈でも一躍話題になったといわれている。神戸風月堂の看板商品であるゴーフルは、大正時代の末頃、洋行帰りの客がフランスの焼菓子を持参し、「日本でも作ってみては」と提案されたのが始まり。ただそのまままねるのではなく、日本人の口に合うようにと和菓子作りの伝統も取り入れ、試行錯誤の末に完成したゴーフルは、1927年(昭和2)に発売された。
関東大震災の被害を受けたユーハイム創始者
「神戸風月堂」と同じく、神戸元町商店街に本店を構える日本初のバウムクーヘン店「ユーハイム」の始まりは1909年(明治42)。創業者のカール・ユーハイムは、ドイツの租借地であった中国・青島で店を構えていた。その後、第一次世界大戦が勃発し捕虜として日本に渡ったカール氏。1919年(大正8)に広島で行われたドイツ捕虜作品展示即売会でバウムクーヘンを出品すると、日本人に好評を博した。彼は日本での永住を決意し横浜で独立開業したものの、1923年(大正12)に関東大震災の被害を受け、当時外国人が多かったもうひとつの港町・神戸へと移り再起を図る。そのときからユーハイムの本店は神戸となり、今に残る神戸の洋菓子文化にも大きな影響を与えた。
小さな洋菓子店も洋菓子文化の発展に貢献
百貨店などにも出店する大手洋菓子メーカー以外にも、日本人が立ち上げ、ここ神戸で長きにわたり親しまれている洋菓子店が存在する。神戸元町5丁目商店街から1本はずれた、みなと元町エリアにある「mama's selection MOTOMACHI CAKE(ままずせれくしょんもとまちけーき)元町本店」だ。創業は終戦間もない1946年(昭和21)、お菓子を載せたリアカーを引いて移動販売をしていた初代が店を構えたことに始まる。当時は珍しかった西洋のお菓子を、大衆も手が届くような食べ物として広めることに力を尽くし、神戸の洋菓子文化の発展に大きく貢献したという。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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