君尾山 光明寺
戦火をくぐり抜け静かに時を刻み続ける綾部の森の古寺
真言宗醍醐派の一大伽藍の道場
寺伝『君尾山略記』によると、光明寺は599年(推古天皇7)、つまり飛鳥時代に聖徳太子が創建したのだという。その後、673年(白鳳元)には役小角(えんのおづぬ)が修験道場として籠り、平安時代中期の延喜年間(901-923年)に弘法大師の弟子で醍醐寺を開祖した聖宝理源(しょうぼうりげん)大師が真言宗の密教道場として中興した。君尾山の中腹にあり、JR綾部駅からあやバスに乗り換えてあやべ温泉前バス停で下車、さらに40分ほどかけて歩く。自動車は府道1号を小浜方面に向かって走り、二王門の近くにある駐車場に停めて山道の石段を登っていく。
何度も焼失と再建を繰り返し現在に
光明寺の最盛期は平安時代から鎌倉時代にかけての西暦1200年代。山上山下に72坊を有した大寺院を形成し、上林地域全体を寺領としていた。しかし室町時代になると周辺も動乱の影響を受け、戦国時代の1527年(大永7)の兵火により、仁王門を除く本堂、三重塔、法華堂、常行堂、鎮守拝殿、行者堂、鐘楼、坊舎を焼失。6年後の1533年(天文2)に地域の豪族・上羽丹波守によって再建されるが、1572年(元亀3)、1579年(天正7)に明智光秀の丹波平定によって再び焼失した。その後も再建と焼失を繰り返しており、現在の本堂は1836年(天保7)の再建。丹波・丹後の真言宗本堂のなかでも屈指の規模だという。本堂には秘仏の本尊・千手観音菩薩立像が安置されている。
建立時から変わらない姿の二王門
たびたび戦火を逃れてきた二王門は、京都府北部唯一の国宝建造物であり、1950年(昭和25)に解体修理、2016年(平成28)に保存修理を行いながら、建立から同じ場所に同じ姿で立ち続けている。修理の際、「宝治二年戊申」(1248年)と墨書された棟札が見つかった。全国的にも珍しい栩葺(とちぶき)屋根の入母屋造りで、三間一戸の二重門である。門内の2体の金剛力士像は慶派仏師の流れを汲む肥後定慶の作で、2019年(令和元)に重要文化財に指定された。二王門から少し降りた場所には地蔵堂が、また本堂が建つ境内には江戸時代に再建された開山堂(大師堂)、鐘楼、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、本堂脇の道を少し登ったところに行者堂もある。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン