源平倶利伽羅古戦場
「火牛の計」で平家軍を谷底に追い落とした古戦場
倶利伽羅峠の一帯は、『平家物語』や『源平盛衰記』などのクライマックスのひとつ、倶利伽羅峠の戦いの地でもある。1183年(寿永2)、木曾義仲が4万の軍を率いて、平維盛(これもり)の7万の大軍と対峙した際、夜半に500頭の牛の角に燃えさかる松明をくくりつけて平家の陣に突入させた。この奇策「火牛の計」によって、平家の大軍は谷底へ追い落とされ、義仲は大勝利を収めた。倶利伽羅峠の旧北陸道では、倶利伽羅公園から富山側に150mほど進むと、鎌倉時代築とされる平家軍の武将・平為盛を弔う人の背丈ほどの為盛塚があり、そのすぐ横に1974年(昭和49)建立の巨大な源平供養塔が立っている。そこから50mほど富山側には、当時の布陣図を紹介する看板と古戦場を一望する展望台があり、さらに100mほど進めば平維盛が陣を構えた平家軍の本陣跡が残る。
平家軍が敗走するなか踏みとどまり、討ち死にした平為盛を弔った塚
スポット詳細
- 住所
- 石川県河北郡津幡町倶利伽羅
- エリア
- 羽咋・河北エリア
情報提供: ナビタイムジャパン