小河内ダム
半世紀以上にわたって活躍している東京の水がめ
多摩川上流域の森林を水源とする貯水池
東京都の水源として、多摩川をせき止めて造られた小河内ダム。そのダム湖である小河内貯水池は、奥多摩湖の通称で親しまれている。蓄えられた水はダム直下の多摩川第1発電所で発電に使用されたのち、多摩川に放流され、下流の小作(おざく)取水堰と羽村(はむら)取水堰で水道原水として取水される。現在は利根川水系のダムが東京の水需要の約8割、小河内ダムが約2割をまかなっており、利根川水系の渇水時などには小河内ダムの放水量を増やすなど、今でも重要な役割を担っている。
ダム見学の拠点となる「奥多摩 水と緑のふれあい館」
ダムに隣接しているのが、東京都水道局と奥多摩町が共同で運営する「奥多摩 水と緑のふれあい館」。駐車場も完備しており、圏央道日の出ICから約50分。路線バスならJR青梅線奥多摩駅から約20分、「奥多摩湖」で下車する。館内では、奥多摩の歴史・自然・民俗を紹介するほか、さまざまな展示や映像を通して小河内ダムの仕組みや役割について学べるようになっている。また奥多摩のお土産をそろえた売店、湖を眺めながら食事ができるレストンも併設。レストランでは1日20食限定のダムカレーも提供している。(2021年11月現在コロナ禍によりメニュー縮小のためダムカレーは休止中)
堤頂を歩いてダムの大きさを体感する
堤頂と呼ばれるダムの上を歩いてみよう。堤頂は幅12.6m、長さ353m、水をせき止めているダムの本体、堤体の高さは149m。谷側をのぞきこめば、ダムの大きさを実感することだろう。堤頂には展望塔があり、東側の窓からはダム下のスリルある眺めを、西側の窓からは湖と奥多摩の山々を一望できる。
堤頂を渡りきると小さな広場があり、慰霊碑が立っている。ダム建設中に事故で亡くなった87名を慰霊するために造られたもので、碑の裏側には殉職者の名が刻まれている。広場の先には、湖の南岸に沿って「奥多摩湖いこいの路」が続く。「奥多摩 水と緑のふれあい館」では周辺の自然散策路を紹介するガイドマップを用意しているので、それを参考にハイキングを楽しむのもいいだろう。
ダム建設の歴史と湖底に沈んだ旧小河内村
大正時末、増加が予測される首都東京の水需要に対応するため、ダム建設の計画がもちあがった。しかし場所の選定などに時間がかかり、起工式が行われたのは1938年(昭和13)。戦争によって中断したのち、工事開始から19年余りの歳月と約150億円の総工費をかけて1957年(昭和32)に完成した。建設用地となった場所には小河内村があったが、集落の大半が湖底に沈み、945世帯が移転を余儀なくされた。そのときの思い出を東海林太郎が歌った『湖底の故郷』が当時流行し、「夕陽は赤し 身は悲し 涙は熱く 頬濡らす さらば湖底のわが村よ 幼き夢の揺かごよ」の歌詞を刻んだ碑が「奥多摩 水と緑のふれあい館」の脇に立っている。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン