誠之堂・清風亭
大正時代に建てられた、渋沢栄一ゆかりの洋風建築
国の重要文化財に指定されている誠之堂。設計は大正期に活躍した建築家の田辺淳吉
栄一を慕う行員たちの出資で建設された誠之堂
誠之堂は1916年(大正5)に栄一の喜寿を祝い、第一銀行の行員が資金を募って建築した英国農家風の建物。第一銀行は、栄一が1873年(明治6)に創設した日本最古の銀行「第一国立銀行」を前身とし、栄一はその初代頭取を務めた。かつて東京都世田谷区にあった第一銀行の保養スポーツ施設「清和園」に建てられ、銀行の集会所としても使われた。
誠之堂の大広間。暖炉の上には渋沢栄一のレリーフが飾られている
誠之堂と命名したのは栄一本人で、儒教における四書のひとつ『中庸』の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也」(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)にちなんだもの。「西洋風の田舎屋を」という栄一の注文に対して、外観は英国調をベースに、日本・中国・朝鮮などさまざまなテイストを加えて設計された独創的な建築だ。
さまざまな要素が調和した誠之堂を見学する
まず、外観を見てみよう。屋根の上の風見鶏が目をひく。正面中央に設けられた屋根窓に実用性はなく、建物のシンメトリー(対称性)を強調するために取り付けられたものと考えられている。壁面のレンガは長辺と短辺を交差させるいわゆる「フランス積み」で、焼き色の異なるレンガの組み合わせと壁面に凹凸をつけた積み方が美しい。北側壁面には同じく装飾積みで「喜寿」の文字が表されている。
外壁と「喜寿」の文字には赤・黄・黒の焼き色の異なるレンガが用いられている
玄関ホールの天井は、白壁の間に梁などの木組みが見える英国ハーフティンバー様式。靴を脱いで大広間に上がれば、真っ白なヴォールト(かまぼこ型)天井が室内をやわらかく印象づけている。奥の暖炉の両側にはステンドグラスの窓が配されている。貴人と臣下が宴を楽しみ、歌舞奏者や厨房の様子を描いた図柄は、古代中国の「画像石」の意匠を参考にしながら、皆が栄一の喜寿を祝っている情景を表したものと考えられている。当時気鋭のデザイナー、森谷延雄の代表作のひとつだ。
スペイン風の装飾が印象的な清風亭
清風亭は、栄一のあとを継いで第一銀行頭取に就任した佐々木勇之助の古希(70歳)を祝って、1926年(大正15)に誠之堂の隣に建てられた。白壁や大きなアーチ、スパニッシュ瓦など、当時流行していたスペイン風が採用されている。スパニッシュ瓦といえばオレンジ色が思い浮かぶが、こちらはルリ色の釉薬がかけられ、設計者独自の美意識が感じられる。外壁やアーチの角に配されているのは、表面に筋が刻まれたスクラッチタイル。ポーチにはフランス窓が5連並び、開いた大窓から中に入れば広間ひとつの明るい開放的な空間になっている。
埼玉県指定文化財の清風亭。設計は銀行建築の第一人者と称された西村好時
栄一ゆかりの貴重な建造物を後世に伝える
誠之堂は、完成から時代を経た1997年(平成9)に取り壊しが決定された。栄一生誕の地である深谷市が、清風亭ともども受け入れに名乗りを上げ、その2年後に現在の大寄公民館の敷地内に移築復元した。建物を現地で搬送可能な大きさに切断して、移築先で再び組み上げるという、当時ほかに例をみない工事だった。現在も誠之堂の外壁面に工事の切断跡が残っている。解体工事の際にレンガから「上敷免製」の刻印が発見され、深谷市内で操業していた日本煉瓦製造株式会社製であることが確認され話題になった。2つの建物は移築前と同じ位置関係で配置されており、往時をしのぶことができる。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン