西教寺

寺院

風光明媚な比叡山東麓に、明智光秀を弔う古刹を訪ねて

西教寺は明智光秀一族の菩提寺としても知られる。比叡山の山懐に広がる開放的な境内には、荘厳な本堂や客殿などの伽藍が立ち並び、唐門を額縁に見立てて望む琵琶湖の景色も必見。

総門の先には樹々がトンネルとなり空を覆う} 総門の先には樹々がトンネルとなり空を覆う

創建は聖徳太子と伝わる天台真盛宗の名刹

西教寺のバス停に降り立てば、もうそこがお寺の総門前だ。参拝者を誘うように、総門からまっすぐに延びる参道が美しい。天台真盛宗の総本山・西教寺は聖徳太子が恩師のために創建したといい、比叡山延暦寺ともゆかりのある古刹。室町時代に真盛(しんせい)上人が復興し念仏・戒律の一大拠点となるも、織田信長の比叡山焼き討ちによって災禍に見舞われる。だが、のちに坂本城の城主になった明智光秀が、檀徒として再建に力を注いだ。拝観受付でいただく参拝順路付き境内図を手に、重厚なたたずまいの本堂をはじめ、豊臣秀吉の伏見城の旧殿を移した客殿や庭園など、多くの見どころを巡っていこう。

厳かにたたずむ本堂と客殿(左手)} 厳かにたたずむ本堂と客殿(左手)

広くおごそかな堂内に満ちる仏の慈悲

現在の本堂は紀州徳川家が用材を寄進し、江戸中期に建立された。本尊の阿弥陀如来は平安時代の定朝様式と伝わり、落ち着いた輝きを放つ慈悲深い姿だ。堂内は豪華な装飾が施され、精巧に彫られた十六羅漢の欄間などにも見入ってしまう。少し離れたところに鎮座する猿の木像は、真盛上人の「身代わりの手白猿(てじろのましら)」伝説にちなんだものという。本堂や参道に並ぶ塔頭(たっちゅう)寺院の屋根の上には、この身代わり伝説による猿の彫り物が随所に置かれているので探してみよう。本堂隣の客殿は桃山御殿の別名があり、質素で上品なたたずまい。各部屋には狩野派の筆による襖絵などをガラス越しに拝見できる。

定朝様式の穏やかな表情の御本尊・阿弥陀如来} 定朝様式の穏やかな表情の御本尊・阿弥陀如来

真盛上人の身代わり伝説となった猿の姿} 真盛上人の身代わり伝説となった猿の姿

坂本城の城主・明智光秀の面影を訪ねて

1571年(元亀2)の比叡山焼き討ちで大きな被害を受けた西教寺の復興に尽力した光秀だが、客殿の近くには、ゆかりの寺宝を展示する資料室がある。たとえば「明智光秀供養米寄進状」は、部下を思うその人柄を知る資料としても貴重だ。境内の西には妻・熙子(ひろこ)や光秀一族を弔うお墓が、二十五菩薩の石仏に見守られるようにたたずみ、墓前で手を合わせる参拝者はひきもきらない。また、総門はかつての坂本城城門を移築したと伝わり、梵鐘(非公開)は戦の際に鳴らされた陣鐘(じんかね)なのだとか。坂本城は湖に消えるがごとくなくなってしまったが、その遺構は西教寺にも引き継がれている。

本堂前にある明智光秀一族を弔う墓} 本堂前にある明智光秀一族を弔う墓

四季折々に美しい庭園と額縁門の景色

回廊をたどると、異なる4つの庭園が堪能できるようになっている。安土桃山から江戸時代にかけて活躍した小堀遠州の作庭という客殿庭園や、「穴太衆(あのうしゅう)積みの石垣」で知られる穴太衆の庭園など、造園の妙も味わいたい。内部拝観の最後には大本坊で授与品や御朱印などがいただける。延暦寺の元三大師(がんざんだいし)ともゆかりの深いことから、大師が病魔を退散させるべく鬼の姿になった伝説にちなむ護符もよく知られている。拝観のクライマックスは唐門を額縁に見立てる琵琶湖の眺望だ。時間の経過や季節ごとに変わる景色は、まるで一幅の絵画のよう。門には壮麗な彫刻が施され、上部の躍動感ある麒麟2頭もお見逃しなく。

宗祖大師殿を背にして望む唐門と琵琶湖} 宗祖大師殿を背にして望む唐門と琵琶湖

江戸時代の版木を使って刷る病魔退散の護符} 江戸時代の版木を使って刷る病魔退散の護符

スポット詳細

住所
滋賀県大津市坂本5-13-1 map map 地図
エリア
大津エリア
電話番号
0775780013
料金
[拝観料]500円
駐車場
有り(50台)

情報提供: ナビタイムジャパン

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最寄り

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