鳥羽城跡城山公園
鳥羽の風景を一望できるかつての海城
随所に残る戦国時代の面影
織田信長のもとで数々の戦功を挙げ、「日本一の水軍大将」として恐れられた九鬼嘉隆が築城。以降、九鬼水軍の本拠地となった。いかにも海城らしく鳥羽城の玄関にあたる大手門は、海に向かって設けられていた。本丸の周辺に建物は残っていないが、野面積み(のづらづみ)の石垣が現存し、当時の姿をとどめている。1600年(慶長5)にあった関ヶ原の戦い以前の石垣と見られており、九鬼嘉隆が城主の時代に築かれたものの可能性がある。史料には「天守三重 内壱重、五間に六間」と記されており、天守は3層であったことがわかる。また、本丸跡では発掘された本丸御殿の大井戸などを見ることができるなど、歴史のロマンに浸れる。
鳥羽市街や鳥羽湾の島々を一望
鳥羽城跡の北側に位置する城山公園は、鳥羽の市街地や鳥羽湾を一望するビュースポットとしても人気。手前には鳥羽水族館やミキモト真珠島など、鳥羽を代表する観光スポットを見られる。「TOBA」のモニュメントは、記念撮影スポットとしておすすめだ。日没頃から22時の間には、公園全体がライトアップされる。また、春は桜の名所として賑わいを見せる。ミキモト真珠島の奥に見えるひときわ大きな島は答志島(とうしじま)。関ヶ原の戦いで西軍についた九鬼嘉隆は、敗戦後この答志島に逃亡し自害した。島には嘉隆の胴塚と首塚が残されている。
城跡の周辺を歴史散策
本丸跡や天守跡以外にも、かつての海城の名残を感じさせる史跡が多くある。城山公園の北側を流れる妙慶川(みょうけいがわ)は、鳥羽城が築城されるまで伊勢・志摩両国の国境であった川。その川に架かる相橋(あいはし)は、武家屋敷から鳥羽城に上がる武士が使った橋で、城側の護岸には石垣が見られる。その東では、1877年(明治10)に明治天皇が御宿泊所の常安寺に向かうために上陸された唐人門跡(とうじんもんあと)の遺構も見ることができる。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン