乾徳山 恵林寺
数々の文化財と名園を有する武田信玄の菩提寺
恵林寺を開山した夢窓国師、寺の興隆に貢献した快川紹喜(かいせんしょうき)、末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の3像が祀られている開山堂
信玄公墓所の参拝は月命日に
「風林火山」を旗印に戦国時代を駆け抜け、志半ばで没した武将武田信玄。その墓とされる場所は全国にいくつかあるが、恵林寺は信玄自身が定めた武田氏の菩提寺として、多くの参拝客を迎えている。まず総門である黒門から続く参道を歩き、「赤門」とも呼ばれる豪放な気風の四脚門(しきゃくもん)、重厚なたたずまいの三門をくぐると、正面に現れるのが開山堂だ。寺の内部は、受付が設けられた庫裡(くり)から入り、順路に従って見学する。信玄公墓所が公開されるのは月命日の12日のみ。この日には特別御朱印も頒布される。
聖域とされている信玄公墓所(通常は撮影不可)。命日の4月12日には供養が行われる
家康が再建したと伝えられる四脚門。額にある「乾徳山」は、恵林寺の山号(さんごう)。国の重要文化財に指定されている
武田氏の栄枯盛衰を語り継ぐ
1330年(元徳2)、鎌倉より夢想国師を招いて創建したのが恵林寺の始まり。武田信玄の時代に勢いを高め、1564年(永禄7)には武田信玄の菩提寺となる。信玄が53歳で急逝すると、あとを継いだ勝頼は、父の遺言どおり3年間喪を伏せたのち、盛大な葬儀をとり行った。しかし、織田・徳川軍に敗北するなど勝頼の時代は長く続かず、1582年(天正10)武田氏は滅亡。織田側に従わなかった恵林寺は、焼き討ちに遭う。最後まで抵抗し、僧侶たちが立て籠もった三門には、このとき快川国師が発した言葉「心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」が掲げられている。焼失した門などは、その後徳川家康によって再建された。
県の重要文化財に指定された三門。織田信長の焼き討ちに遭い、快川国師が壮絶な最期を遂げた場所に立つ
文化財、名園など見どころがたくさん
枯山水式で作庭された「方丈庭園」を眺めつつ本堂の廊下を進むと、歩くたびにウグイスの鳴き声のようなきしみ音が生じる「うぐいす廊下」に出る。廊下を渡りきったところにあるのは、信玄公の姿を写した等身大の不動明王を安置している明王殿だ(2021年8月現在、修復のため閉鎖中)。月命日であれば、信玄公の墓所を参拝したあと、国の名勝指定を受けている恵林寺庭園で見学を締めくくりたい。京都の西芳寺(苔寺)庭園などを手がけた夢窓国師による名園で、滝から流れ落ちる清涼な水音を聞きながら、700年の歴史に思いを馳せるのもいいだろう。
外部からの侵入者を探知するために造られたのが始まりという「うぐいす廊下」
江戸時代、将軍綱吉のブレーンとして采配をふるいながら、甲斐の国主としても業績を残した柳沢吉保の霊廟。正妻とともに眠る墓所も近くにある
渡り廊下から眺められる恵林寺庭園。柳沢吉保のあとを継いだ甲府藩主、吉里が定めた名勝地「甲斐八景」のなかに「恵林晩鐘(えりんばんしょう、恵林寺の暮れの鐘)」として詠まれている
スポット詳細
- 住所
- 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
- エリア
- 勝沼・石和温泉エリア
- 電話番号
- 0553333011
- 時間
- 8:30-16:30
- 休業日
- 無休
- 料金
-
[拝観料]大人500円、小中高校生300円
※団体(20名以上)は1人400円 - 駐車場
- あり
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- あり
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 30-60分
情報提供: ナビタイムジャパン