仁右衛門島
手漕ぎの渡し船に揺られて行く、頼朝伝説の残る島
代々受け継がれてきた歴史ある島
沿岸部が南房総国定公園に指定されている、房総半島の鴨川市。夏には海水浴客で賑わう太海浜(ふとみはま)の沖合約200mに、砂岩でできた面積約3万平方メートルの仁右衛門島(にえもんじま)が浮かぶ。この島では平安末期頃から平野仁右衛門という人物が暮らし、その子孫が代々仁右衛門を名乗ったことから「仁右衛門島」の名が付いた。現在は39代目(推定)で、今も平野家が一戸のみ居住している。
仁右衛門島への渡し船乗り場は、JR太海駅から徒歩約12分ほど。車なら旧太海フラワーセンターの駐車場に止めて約5分。港に係留した小船や、あちこちに干した網がある浜波太(はまなぶと)漁業集落の雰囲気を楽しみながら歩けばすぐだ。渡し船乗り場からは、すぐ近くに見えている仁右衛門島まで5分ほど。海上を滑るように進む手漕ぎの渡し船の上から、だんだん近づいてくる島を眺めるのはワクワクする体験だ。ただし、荒天時には運休し、島の訪問はできなくなるので、事前に電話などで運航状況を確認しておきたい。
「亀岩」がある島北西部の展望所へ
仁右衛門島の北側は切り立っており、一周する道はない。上陸場所に案内地図があるので、そこに示された周遊コースをたどって島を巡ろう。休憩所の建物にある切符売り場で、39代目の平野さんに会えるかもしれない。ほかにも、マグネットやTシャツなどの商品を販売する売店や休憩所等がある。建物を通り抜けて外へ出たら、案内板に従って石段を上ろう。
石段の中ほどで左に曲がると、「弁天道」と呼ばれる尾根上の道となる。途中にいくつもの句碑や歌碑があるので、眺めながら歩いて行こう。突き当たりまで行くと眺望が開け、そこが展望所だ。甲羅に草が生えた、よくできた形をした「亀岩」を見下ろせるので探してみよう。また、近くの階段を上がったところに、平家の時代に宮島から勧請したと伝わる、蓬島弁財天祠(よもぎしまべんざいてんし)がある。「蓬島」は仁右衛門島の別名だ。1962年(昭和37)に寄贈された、木造の寿老人像もここに合祀されている。
遠い昔のたたずまいを残す島主の住居
先ほどの石段に戻り上っていくと、立派な石垣に囲まれた島の最高地点に至る。木の門をくぐると、ソテツの木を前にして立つのが「島主住居」だ。江戸時代の1704年(宝永元)に建て直されたものと伝えられ、その一部が公開されており外から見学が可能。ツゲの柱やクワの天井板、神代杉の障子腰板、手斧で削られたケヤキの帯戸などをよく見たいなら、奥庭に回り込んでみよう。奥庭には樹齢600年といわれる大ソテツがそびえている。また、敷地内では「キンギンナスビ」という珍しいとげだらけの植物を見ることができる。
日蓮と頼朝の伝説が残る島の東側
島主住居の裏門から敷地の外に出ると、目の前に海が広がる気持ちのいい展望台がある。そこから坂道を下る途中、左手に見えるのが「神楽岩」だ。鴨川に生まれた日蓮は、清澄寺(せいちょうじ)で修行中の青年時代に仁右衛門島を訪れ、この場所で旭(あさひ)を拝したといわれる。また、坂を下りきった鳥居の奥には「源頼朝の隠れ穴」がある。1180年(治承4)、石橋山の戦で大敗して安房に逃れた源頼朝を、初代仁右衛門がかくまったと言い伝えられる洞窟だ。江戸時代に京都の伏見稲荷から勧請したという、正一位稲荷大明神が祀られている。
頼朝の隠れ穴を過ぎると、奇岩の多い磯を経て、やがてスタート地点の建物まで戻ってくる。ゆっくり歩いても1時間程度と、散策にほどよいサイズ感だ。お弁当や日よけのテントを持ち込んで、磯遊びしながらのんびり過ごす家族も多い。ただし、仁右衛門島ではBBQは禁止されている。また、島ではアワビやサザエ、伊勢えびなど、獲ってはいけない生物が決まっており、ウエットスーツやモリ等は使用できない。マナーとルールを守り、歴史ある島での滞在を楽しみたい。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン