嵐山渓谷
秋の紅葉が鮮やかな、埼玉県を代表する景勝地のひとつ
昭和の時代から人々を魅了してきた渓谷美
嵐山渓谷は、槻川(つきがわ)の清流にかかる谷川橋から槻川橋までの渓谷と、周辺の豊かな自然環境を指す。その名の由来は、1928年(昭和3)に、日本で最初の林学者であり日比谷公園などの造成に携わった本多静六博士が当時の槻川橋から景色を眺めて、京都の嵐山(あらしやま)によく似ていることから、この地を「武蔵国嵐山(むさしのくにのあらしやま)」と呼んだことによる。それをきっかけに広く知られるようになり、東京都心から電車で1時間ほどで来られる身近な行楽地として、今も昔も多くの人々を魅了している。
ところで「あらしやま」が「らんざん」になったのは1935年(昭和10)、東武鉄道が渓谷の観光開発を目指して東武東上線「菅谷駅」から「武蔵嵐山駅」に変更した頃からといわれている。これが現在の嵐山町(らんざんまち)の町名にとつながったそうだ。
自然に包まれて川沿いの遊歩道を歩く
渓谷を楽しむ散策路はいくつかあるが、ここでは槻川橋から歩き始めるルートを紹介しよう。まず、橋のたもとの「嵐山渓谷バーベキュー場」から槻川に沿って上流へ。右岸から左岸へ飛び石づたいに渡って(増水時は通行不可)、大平山のふもとの遊歩道を歩いて行く。
やがて道は二又に分かれ、右は展望台へ、左は冠水橋へと続く。右へ進んで少し開けた土地に休憩所が建っているところが展望台。昭和初期、ここには料亭旅館「松月楼」があり、多くの観光客が集って「嵐山」の雰囲気を楽しんだという。そのため嵐山発祥の地とも呼ばれており、広場の一角に「嵐山町名発祥之地」の碑が立っている。
渓谷を詠んだ歌に在りし日の面影をしのぶ
展望台から先、槻川の流路が大きく蛇行して半島状になっているところは「細原」と呼ばれ、コナラ・クヌギ・ヤマザクラの遊歩道のなかに与謝野晶子の歌碑が置かれている。1939年(昭和14)、晶子は娘とともにこの地を訪れ、渓谷の自然などをテーマに『比企の渓』29首の短歌を詠んだ。細原の先端部は、秋なら紅葉とススキのコントラストが美しい。ここから先は槻川でふさがれて進めないので、来た道を戻る。槻川の「槻」は古語でケヤキの意味で、それだけにこの川の流域にはケヤキが多くて武蔵国らしい。余力があれば標高179mの大平山に登ってみよう。大平山と細原は「さいたま緑のトラスト基金」の保全3号地で、おもに県民の寄付とボランティアによって良好な自然環境が維持されている。
広い川原でBBQや水遊びを楽しもう!
嵐山渓谷といえば、河原でのBBQも人気。槻川橋のたもとにある「嵐山渓谷バーベキュー場」は、東京都心から車で約1時間とアクセスが良く、県外からも多くの人が訪れる。道具のレンタルと食材の注文も可能で(4日前までに要予約)、売店では調味料や飲み物などを買えるので、手ぶらで行っても気軽にBBQを楽しめるのがうれしい。夏なら槻川の清流で水遊びもできる。また、「嵐山渓谷バーベキュー場」と道を挟んで反対側に「千年の苑ラベンダー園」があり、5月下旬頃から早咲きのラベンダーが楽しめ、6月中旬頃には広大な敷地が紫色と花の香りに包まれる。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン