和銅遺跡
日本最初の流通貨幣「和同開珎」ゆかりの和銅採掘跡
日本最初の和銅が発見された採掘跡
8世紀初頭、秩父の美の山(蓑山=みのやま)で、日本で初めて和銅の大鉱脈が発見された。「和銅」は「にぎあかがね」と読み、純度の高い自然銅、つまり製錬をしなくてもすでに金属となっている銅を指す。鉱脈発見の報告が朝廷にもたらされると、元明天皇は年号を慶雲から和銅に改めるほど喜んだ。『続日本紀』に、和銅元年1月11日(708年2月7日)と日付が正確に記録されている。蓑山の南西に突き出た尾根がのちに和銅山と名づけられ、その山裾の渓流沿いに当時の採掘跡を見ることができる。
聖神社を参拝してから和銅遺跡へ
日本最初の流通貨幣「和同開珎」ゆかりの遺跡を訪れる前に、まず和銅をご神体として祀る聖神社(ひじりじんじゃ)に参拝してからこちらへ足を運ぼう。金運アップのご利益がいただける銭神様として、全国から参拝者が訪れる人気の神社だ。聖神社から舗装道路を10分ほど歩くと、右側に「和銅採掘露天掘跡」という標識が見えてくる。車ならその少し先に3台ほど停められる来訪者専用駐車場がある。標識から先は、舗装されていない遊歩道なので歩きやすい靴で。雨が降ったあとはぬかるんでいることもあるので注意したい。
1300年前の和銅献上の舞台に立つ
木立の中を5分ほど歩くと、「日本通貨発祥の地」と記された和同開珎のモニュメントに到着する。大和朝廷から銅鉱脈探索のために派遣された日下部宿弥(くさかべのすくね)、津島朝臣堅石(つしまのあそんかたいわ)、帰化人の金上无(きんじょうむ)の3人は、蓑山付近で和銅が地表に露出していると里人から聞いて、渓流沿いを進んでいた。そのとき、金鉱技師であった金上无が探し求めていた和銅の鉱脈を発見したと伝えられている。沢のせせらぎを聴きながら採掘跡を眺めていると、当時の光景が目に浮かんでくるようだ。
今も地名に残る和銅開発の歴史
遺跡周辺では今も、和銅にまつわる地名や言い伝えがたくさん残っている。鉱脈が見つかった渓流は「和銅沢」または「銅洗堀」と呼ばれ、和銅山の西には和銅献上の祝典があげられたと伝わる「祝山(いわいやま)」がある。また、1981年(昭和56)に秩父鉄道の和銅黒谷(わどうくろや)駅近くの荒川に架けられた橋は和銅大橋と名づけられた。
和銅黒谷駅から近い旧内田家住宅は、和銅採掘当時に人足総元締めをしていた一族の旧居。内田家は現在も周辺20近くの社の祭祀をしており、和銅の実物を家宝として秘蔵しているともいわれている。建物は江戸時代17世紀初期の建築で中二階が養蚕部屋になっている。和銅山を背景にして建つ住宅は、往時の雰囲気をよく伝えている。
スポット詳細
- 住所
- 埼玉県秩父市黒谷567 地図
- エリア
- 秩父周辺エリア
- 時間
- 24時間
- 休業日
- 無休
- 料金
- 無料
- 駐車場
- あり(20台)
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 30-60分
情報提供: ナビタイムジャパン