津和野カトリック教会
乙女峠に殉教したキリシタンの信仰の証しを今に語り継ぐ聖堂
津和野の「殿町通り」に、てっぺんに十字架がある尖塔が目立つ。その美しい白亜のゴシック建築が、1931年(昭6)にドイツ人シェーファー神父によって建てられた「津和野カトリック教会」の聖堂だ。「たたけよ、さらば開かれん」という聖書の言葉どおり、毎週日曜にミサが行われる聖堂には、開館時間内なら自由に立ち入ることができる。おごそかな玄関を入れば、正面に祭壇、右には聖ヨセフ、左には聖母マリアの像がある。色鮮やかなステンドグラスが印象的だ。そしてゴシック風の外観からは想像できないが、聖堂内部の床が畳敷きになっている。この津和野カトリック教会を創設したのは、殉教に関心をもつフランス人宣教師のエメ・ヴィリヨン神父。あまり知られていないが、「山陰の小京都」津和野はキリシタンの殉教地でもある。明治時代の初期、津和野に流刑された長崎浦上の信徒が神道への改宗を迫られ、多くの殉教者が出た。それが「乙女峠の殉教秘話」として語り継がれ、この聖堂で殉教者への祈りが続けられている。聖堂に隣接して、殉教の資料を集めた「乙女峠展示室」がある。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 浦上崩れの歴史
- 聖堂はドイツ人司祭パウロネーベル神父により建てられ、同神父は帰化し邦名を岡崎祐次郎と名乗ったことから、外に裕次郎の幟がはためいていました。岡崎は浦上崩れで長崎から送られた信徒のうちの一人だそうです。長崎から遠い津和野や萩にキリシタンの歴史があるのが不思議でもあり、悲しい歴史を感じます。聖堂内部は畳敷で、ここ以外では天草の崎津教会だけしか見たことがないものでした。
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- 隠れキリシタン弾圧の悲しい歴史を今に伝える教会
- 武家屋敷が立ち並ぶ殿町通りでひときわ異彩を放つゴシック様式の教会。長崎浦上の隠れキリシタン殉教地として知られる津和野に、エメ・ヴィリヨン神父によって創設されたもので、現在の建物は1929(昭和4)年の再建です。江戸幕府が瓦解した1868(慶応4)年から1870(明治3)年まで、長崎の信徒の中心人物は津和野・萩・福山へと流刑にされ、津和野では神道による教化・改宗が迫られましたが、キリスト教への信仰...
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- 悲しい歴史も背負っています
- 綺麗な外見の教会です。ただ傍に資料館もあり、江戸時代のキリスト教への弾圧の様子を見ることが出来ます。悲しい歴史も有ったようです。
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