塩見縄手
松江随一の城下町の面影が残る伝統美観地区
江戸時代に上級・中級武士たちが暮らしていた伝統美観地区
松江開府の祖である堀尾吉晴が、築城の際に天守が建つ亀田山とその北側の赤山を掘削して造った道が塩見縄手。江戸時代には上級・中級武士の屋敷が立ち並んでいた。現在も堀に沿って長屋門や塀が続いており、城下町の面影を色濃く残している。松江城からは城を囲む堀の北東角の北惣門橋を渡り、左折してすぐの宇賀橋を渡ったところになる。堀端は遊歩道、これと道路を挟んで民家が建つが、歴史的な雰囲気が漂い始めるのは、宇賀橋から200mほど行った先、島根県知事公舎を過ぎ松江藩松平家七代藩主松平不昧公ゆかりの茶室「明々庵」への入り口となるT字路からで、ここから約500mが市の伝統美観地区に指定され、「日本の道100選」にも選ばれている。
当時のままの武家屋敷を見学しハートの松で記念撮影
塩見縄手という名は、この通り沿いの「武家屋敷」に住んでいた塩見小兵衛という武士が、異例の栄進をしたのを讃えてつけられた。現在はバスも走る舗装道路だが、当時は狭い道だったという。伝統美観地区指定の区間を、東から古い塀に沿って行くと、「武家屋敷」と案内板のある門が現れる。江戸中期建造時のまま残る武家屋敷で、260年以上を経ているが保存修理によって状態が良く、内部も見学することができる。道を挟んだ堀側にも注目。遊歩道の松並木のひとつが、曲がりくねってくぐり戸のようになっている。形がハート型にも見えることから「ハートのくぐり松」と呼ばれるようになり、大人気の撮影スポットだ。
樹齢数100年の松のなかでも独特の形状の「ハートのくぐり松」
ゆかりの武家屋敷と記念館で小泉八雲に触れる
武家屋敷からさらに西に向かうと、ほどなく「小泉八雲旧居」。ギリシャ生まれの新聞記者で、明治時代に来日し怪奇文学作品集の『怪談』などを出版したことで有名な小泉八雲が暮らしていた家だ。1891年(明治24)に松江の士族の娘・セツと結婚し、空き家だった武家屋敷に借家し5か月ほど過ごした。八雲の作品にはこの家や庭が登場する。すぐ隣には八雲の生涯を映像や資料の展示で紹介している「小泉八雲記念館」が立つ。ちなみに八雲の名前は、帰化後、出雲国の枕詞「八雲立つ」にちなんでつけられている。ここで伝統美観地区は終わりだが、周辺に旅行者向けの土産物店や飲食店があるので、立ち寄ってみるのもいいだろう。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
アクセス
最寄り

- NEARBY HOTELS -
周辺のホテル
- NEARBY RESERVED PARKING -
周辺の予約制駐車場

【予約制】軒先パーキング 普門院前駐車場1
794m

【予約制】軒先パーキング 普門院前駐車場2
795m
