金城山 雲洞庵
お参りするだけでご利益を得られる?
人々を病から救った湧水が始まり
雲洞庵の起源は、今から1300年ほど前の奈良時代。藤原鎌足の孫にあたる藤原房前(ふささき)の母が出家して当地に庵(いおり)を結び、金城山から湧き出る霊泉でたくさんの病人を救ったことに始まる。母の亡きあと、薬師如来を携えてこの地を訪れた藤原房前は、母親の菩提を弔う金城山雲洞庵(きんじょうさんうんとうあん)を建立した。以来、藤原家の尼僧院として律宗に属し、約600年間にわたって特に女人救済の庵寺として栄えてきた。室町時代になると、上杉憲実(うえすぎのりざね)が藤原家の末裔(まつえい)という理由から寺を受け継ぎ、曹洞宗雲洞護国禅庵(そうとうしゅううんとうごこくぜんあん)を開いた。以降、雲洞庵は地域の大禅道場となり、今にいたる。
法華経が埋められた参道を歩く
木々が深く生い茂る雲洞庵の境内は、澄んだ空気に包まれ、歩いているだけで自然と心が静まる。雲洞庵へ到着後、赤門をくぐると石畳の参道が姿を表す。赤門から本堂に続く参道の石畳は、一石一字ずつ法華経が記された状態で埋められており、その数は7万字に及ぶ。この石畳を踏みしめてお参りすると、罪業消滅・万福多幸のご利益に預かると信仰されているため、古くから越後の地には「雲洞庵の土踏んだか」という言葉があるほどだ。夏は緑がいっそう深くなり、冬は雪と静寂に包まれる雲洞庵は目にも美しく、季節ごとに何度も訪れる人もいるという。石畳の参道を進むと、本堂が見えてくる。上杉憲実によって建立された間口14間、奥行10間半の雲洞庵の本堂は、新潟県指定文化財になっている。
かつては曹洞宗の大修行道場だった
「雲洞庵の土踏んだか」という言葉にはもう1つの意味がある。雲洞庵は、戦国時代は越後、江戸時代は魚沼の僧侶の統轄所かつ、曹洞禅のとても厳しい大修行道場として知られていた。そのため、多数の修行者が修行のために雲洞庵を訪れた。「雲洞庵の土踏んだか」という言葉は「雲洞庵で修行をしたのか」というニュアンスも含まれているのだ。本堂内には多くの人を救ったとされる湧水「長生きの水」があり、現在も自由に飲むことができる。本堂からさらに奥へ進むと、千手観世音像と百体観音像が安置されている観音堂も参拝することができる。
スポット詳細
- 住所
- 新潟県南魚沼市雲洞660 地図
- エリア
- 湯沢・魚沼エリア
- 電話番号
- 0257820520
- 時間
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[4月中旬-11月]9:00-17:00(最終受付16:30)
[12月-4月中旬]9:30-16:00(最終受付15:30) - 休業日
- 水(祝・正月期間を除く)
- 料金
- [拝観料]300円
- 駐車場
- あり(32台、バス4台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 30-60分
情報提供: ナビタイムジャパン
クチコミ
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- 越後でも由緒のある歴史のあるお寺
- 奈良時代、藤原氏が創建したといわれる歴史があり、越後の中でも由緒のあるお寺です。駐車場から境内に入ると、杉に囲まれた参道が続きます。拝観料300円を払い進んでいくと、長生きの水や江戸中期に再建された本堂の立派な内陣があります。その先には座禅堂や観音堂があります。客殿からは境内の池や本堂が見えます。3月上旬に訪れたので深い雪に覆われており、趣がありました。
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