善名称院(真田庵)

その他の史跡/建造物

真田父子が大坂城入城までを過ごした庵跡

県の北東部に位置する、九度山町(くどやまちょう)。「日本一の兵」と呼ばれた真田幸村が大坂城へ入城するまでの14年間、人生で最も長い歳月を過ごした地である。歴史に思いを馳せながら、幸村たちが過ごした場所を歩いてみよう。

玄関口には絵馬などが所狭しと並ぶ 玄関口には絵馬などが所狭しと並ぶ

2人が隠れ住んだ九度山の武家屋敷跡が寺院に

真田幸村と父・昌幸が蟄居生活を送った武家屋敷跡に建てられた寺。境内は「真田屋敷跡」として県指定文化財に指定され、真田幸村にゆかりある地として今も多くの観光客が訪れる場所だ。境内には、昌幸の墓や幸村の伝説が残る井戸など、真田家にまつわるものが残っている。歴史としては、1611年(慶長16)に九度山で65歳の生涯を終えた昌幸の供養のため、幸村が森に宝篋印塔(ほうきょういんとう)を建立。その後、幸村一族は大坂城へ入城するため九度山をあとにし、1741年(寛保元)に森を訪れた大安上人が真田屋敷跡に伽藍を創建したことから始まった。

瓦の一つひとつに真田家の家紋が 瓦の一つひとつに真田家の家紋が

5月頃にはボタンの名所として多くの人が訪れる 5月頃にはボタンの名所として多くの人が訪れる

昌幸を神様として祀った「真田地主大権現」

「善名称院」の建立後、境内には怒った昌幸の霊が出現するようになったという。大安上人が昌幸の霊をこの地の大権現の神にして祀ると、穏やかな顔の昌幸が現れ、祀ってもらったお礼にこの地を守る約束をしたという。そんな言い伝えが残るのが、本堂の向かいにある「真田地主大権現」。寺の守護神として、昌幸と幸村、幸村の息子の大助と、真田三代の御霊を真田家の宝物である毘沙門天と合祀し、「幸運の神地主権現」として祀っている。400年経った今でも昌幸らが九度山を守ってくれているという。隣には昌幸の墓もあるので、歴史に思いを馳せながら、社の前で手を合わせよう。

昌幸の墓と「真田地主大権現」の前で手を合わせよう 昌幸の墓と「真田地主大権現」の前で手を合わせよう

幸村の伝説が残る「雷封じの井」も見どころ

九度山には幸村の逸話の数々が言い伝えられている。そのなかのひとつとして、境内には、幸村の伝説が残る「雷封じの井」が現存。これは、幸村が閉居中に屋敷に落ちてきた雷を取り押さえ、井戸に封じ込め、九度山の人々の命を救ったという言い伝えが残っているものだ。雷を閉じ込めているためか、今でも井戸は重い石の蓋で塞がれているため、中をのぞくことはできない。来たるべき戦に向けて修行をしていた幸村の強さと、町民からいかにあつい信仰を寄せられていたのかがわかる話だ。

伝説が残る「雷封じの井」 伝説が残る「雷封じの井」

資料館や与謝蕪村の句碑も残る

ほかにも境内には、真田家の肖像画や武具、真田紐などが展示された「真田宝物資料館」や、江戸時代の俳人・与謝蕪村が「炬燵して語れ真田が冬の陣」、「かくれ住んで花に真田が謡かな」と詠んだ句碑が残っている。また、真田庵から出て東へ170mほど進んだ場所にある「真田古墳」にも立ち寄りたい。ここは、幸村が大坂の陣へ向かうためにこの抜け穴を使って九度山を抜け出したという逸話が伝わる名所のひとつ。九度山はそんな幸村の伝説が語り継がれている場所である。

「真田地主大権現」のそばに建てられた与謝蕪村の句碑 「真田地主大権現」のそばに建てられた与謝蕪村の句碑

「善名称院(真田庵)」のそばには真田古墳が 「善名称院(真田庵)」のそばには真田古墳が

スポット詳細

住所
和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
電話番号
0736542019
時間
[真田宝物資料館]9:00-16:00
休業日
年末年始
料金
[真田宝物資料館(入館料)]200円
駐車場
なし
クレジットカード
不可
電子マネー/スマートフォン決済
不可

情報提供: ナビタイムジャパン

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