飛鳥宮跡
飛鳥時代、複数の天皇たちの宮殿が置かれた場所
飛鳥板蓋宮だけじゃない、飛鳥宮跡
古代の飛鳥は、北は飛鳥寺一帯、南は橘寺付近、東は岡寺のある丘陵、西は甘樫丘(あまかしのおか)のある、飛鳥川の両岸付近の辺り。現在飛鳥宮跡と呼ばれる史跡があるのは、雷丘(いかづちのおか)の東南。飛鳥川、阿倍山田道にほど近く、水の便も交通の便も良い場所だ。
1959年(昭和34)の発掘当初に見つかった遺構は、当初「伝飛鳥板蓋宮跡」として国の史跡に指定されていたが、継続的な調査により、複数の宮があったことがわかり、2016年(平成28)に現在の「飛鳥宮跡」に史跡名称が変更された。
飛鳥の大きな出来事はここで起きた
現在、飛鳥宮跡は、4つの宮(飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮)のうち、最も新しい、飛鳥浄御原宮時代の石敷広場や大井戸が復元されている。天武天皇が即位した宮だ。
なお、2番目に古い飛鳥板蓋宮は、645年(大化元)に皇太子・中大兄皇子が大臣・蘇我入鹿を刺殺した事件「乙巳(いっし)の変」の舞台として知られる。ちなみにこのとき蘇我入鹿の首が飛んだといわれる「蘇我入鹿首塚」は、飛鳥宮跡の北にある飛鳥寺の近くにある。徒歩や自転車であれば、田畑が広がる美しい風景を眺めながら、飛鳥周遊道を北に進むルートもおすすめだ。
飛鳥宮の周辺とその関連遺跡
藤原京や平城京と違い、飛鳥時代の宮の周辺部は碁盤目状の区画(条坊制都市)としては本格的な整備はされていなかったようだ。しかし、宮殿のあった場所を中心に、さまざまな宮や施設があったとされ、宮跡周辺には遺跡が点在している。
たとえば、飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)は、中大兄皇子がわが国で初めて造ったといわれる、漏刻(水時計)の建物跡だ。また、斉明天皇が造らせた「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」と呼ばれた運河の跡、なんらかの祭祀に使われたかと思われる酒船石や亀形石造物なども見つかっている。明日香村の遺跡は多く、今後のさらなる整備に期待したいところだが、想像力を膨らませ、有りし日の飛鳥宮の暮らしを想像してみたい。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン