石垣山一夜城
日本史の舞台となった城跡。小田原市街、相模湾を一望
日本史を動かす舞台となった史跡
石垣山一夜城は小田原市早川の丘の上にある史跡だ。豊臣秀吉が小田原城を史跡だ。攻略する際に城を築いた山の頂上周辺が、1959年(昭和34)には国の史跡に指定され、整備が進められた。随所に残る石垣や、入り口から長く続く階段、今は草地の広場となっている二の丸跡、木立に囲まれた本丸跡などに往時をしのぶことができる。本丸跡の一帯からは小田原市街、相模湾を一望できる。近くには休憩ができる施設も整備されているので、ひと休みを。
実際には80日をかけて築かれた「一夜城」
1590年(天正18)、15万の大軍を率いて小田原城に攻め込んだ豊臣秀吉は、北条氏の降伏を促すために、小田原城を見下ろす標高241mの笠懸山(かさがけやま)の頂に関東では初めてのものとなる総石垣の城を築き、ここを本陣とした。築城はおよそ80日間をかけて行われたが、城が完成するまでは城の周囲の木を伐採することをせず、工事の完成時に一気に伐採を行って、一瞬のうちに城を築いたように見せたことから「一夜城」という呼び名も生まれた。これは秀吉の力を誇示するための演出であったといわれる。石垣山一夜城は、本丸、二の丸、曲輪、石垣、櫓を備えた本格的なもので、決してこれは見せかけだけのものでなかったことが、秀吉の確かな力量を物語っている。
城址一帯には今もさまざまな遺構が残る
「一夜城」が築かれた時代、本格的な築城には相応の時間が必要とされていたといい、秀吉の居城となっていた大阪城は、本丸だけでも工期におよそ1年を要したといわれている。その意味でもたとえ80日が要されたといっても、それは突貫工事の賜物ということになる。今は天守閣などの巨大な構築物こそ失われているものの、二の丸跡、曲輪の跡などが残り、城の大きな特徴となった石垣も、随所に残されている。この早川から真鶴にかけての一帯は、中世には石の産地として知られており、のちに家康が江戸に城を築いた際にも、石垣に使う石は真鶴から船を使用して江戸に運ばれた。そんな環境があったことも、驚くべき速度で城を築き上げることのできた一因となっているのかもしれない。
見どころの多い早川駅、小田原駅周辺
石垣山一夜城へのアクセスはJR早川駅から徒歩が最短。駅の近くからゆるく続く坂道を50分ほど歩けば到着できる。道は舗装されているので足元を心配する必要はないが、少し距離があるのでマイペースでゆっくりと歩いて行こう。タクシー利用であれば10分で到着でき、土・日曜、祝日には小田原駅から石垣山一夜城の入り口まで周回バス「うめまる号」を利用することができる。帰り道で、駅の海側にある早川港(小田原港)を散策してみるのも楽しい。のどかな雰囲気の漁港を歩いたあとに、何軒も並ぶ魚料理店を訪ねてみるのもよいだろう。新鮮な地魚の刺身や天ぷらには、産地でしか味わうことのできない感動がある。電車で1駅の小田原駅周辺にも見どころは多い。小田原城はぜひ訪ねてほしい史跡だ。
スポット詳細
- 住所
- 神奈川県小田原市早川1383-12 地図
- エリア
- 小田原・真鶴町・湯河原エリア
- 休業日
- 無休
- 料金
- 無料
- 駐車場
-
あり(58台)
※オートバイ駐車場もあり - Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可(喫煙所あり(入口 自動販売機前))
- 滞在目安時間
- 30-60分
- 備考
- [小田原城総合管理事務所]0465-23-1373
情報提供: ナビタイムジャパン
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