指月殿
歴史上の悲しくも切ない物語に思いを馳せる
頼家への想いをハスに込めた釈迦如来坐像
修善寺で暗殺された鎌倉幕府2代目将軍・源頼家の冥福を祈り、母・政子が建立した経堂。「指月」とは経典の意で、悟りは文字や言葉で伝えられるものではないという不立文字(ふりゅうもんじ)を説く言葉。仏教典籍「宋版大蔵経」は、大半が散失し、残るのはわずか8巻。そのうちの第23巻が県文化財として指定され、政子の墨書が記されている。本尊の釈迦如来坐像は、寄木造りで高さ2m3cm。本来、手には何も持たない釈迦像だが、右手にハスの花を持っているのが特徴だ。指月殿の篇額の実物は、宋の名僧・一山一寧(いっさんいちねい)の書といわれ、修禅寺本堂に保存されている。
ひっそりと立つ頼家の小さな墓
父・源頼朝の没後1199年(正治元)に跡を継ぎ、18歳で征夷大将軍として鎌倉幕府二代将軍の実権を握った頼家。しかし北条家を中心とする豪族を掌握することができず、病に伏せると家督問題も生じ、わずか6年で伊豆修善寺に幽閉されてしまう。その後の復権も叶わず、1204年(元久元)、修禅寺門前にあった中湯(現在の筥湯)にて入浴中に暗殺。23年という短過ぎる一生を閉じた。指月殿隣には、頼家の500周忌にあたる1704年(元禄16)に、時の修禅寺住職が建てた供養塔があり、大きな石碑の裏に頼家の小さな墓がひっそりと立っている。
従順に仕える13人の家臣
頼家が暗殺された6日後、頼家の家臣らは謀反を企てるも、旗揚げ前に発覚。相州・金窪行親(かなくぼゆきちか)らに殺されたことが記されている。頼家と運命をともにしたこれら家臣の名前はわかっていないが、全国にある十三塚と称される地名や塚の一例との説が残っている。当初墓は、東へ200mほどの場所にあったが、2004年(平成16)の台風で墓の裏山が崩落したため、伊豆市が翌年に、高台にあるここ源氏公園のなかへと移設された。
想いをつなぐ蓮花の「お伺い石」と絵馬
恋愛成就の聖地ともいわれる修善寺。供養塔横にはハスの花をかたどった以心伝心を占う「お伺い石」がある。まずは願いを込めて石を持ち、石の重さを軽く感じれば願いが叶い、重く感じたなら、指月殿にお参りをすると願いが叶うとか。言葉を発せずともお互いがわかりあえる、心と心が通じ合う「拈華微笑(ねんげみしょう)」の教えにあるよう、北条政子の頼家への想いもきっと届いただろう。大切な人への想いを絵馬に込め手をあわせると、拈華微笑のように相手にも想いが通じるという。
スポット詳細
- 住所
- 静岡県伊豆市修善寺 地図
- エリア
- 三島・沼津・中伊豆エリア
- 休業日
- 不定休
- 料金
- 無料
- クレジットカード
- 不可
- 備考
- ※電話番号は、伊豆市観光協会修善寺支部に繋がります。
情報提供: ナビタイムジャパン