塩屋埼灯台
上からの大パノラマは必見! 断崖絶壁に立つ白亜の灯台
幾度も改築を繰り返した大型灯台
福島県いわき市の岬・塩屋崎(しおやざき)に立つ塩屋埼(しおやさき)灯台。駐車場から灯台まで階段で約10分上ると、灯台のすぐ手前に構造や歴史を紹介する「灯台資料展示室」がある。この灯台は内部が一般公開されている参観灯台で、100段以上のらせん階段を上って展望テラスへと出られる。1899年(明治32)にレンガ造りで建てられたのち、1938年(昭和13)に福島県沖地震のため破損。2年後、鉄筋コンクリート造りに改築されたが、太平洋戦争末期に米軍からの攻撃でまたも破壊された。その後修復され、現在のものは高さ27m、第3等大型フレネルレンズを使い、光度44万カンデラ(一般的なロウソク44万本分)、光達距離約41kmで、15秒ごとに光る。展望テラスからは360度の展望が開け、遥か遠くの水平線を見れば地球が丸いことを実感できる。
古くから航海の安全を願う
塩屋崎周辺は海岸線に細長く広がる磐城(いわき)海岸県立自然公園の一部。灯台を挟んで北に薄磯(うすいそ)海岸、南に豊間(とよま)海岸が広がっている。薄磯海岸は県内外から多くの海水浴客が訪れるビーチで、「日本の渚百選」にも選ばれている。豊間海岸は波が強くサーファーにも人気の海岸だ。白い砂浜は歩くたびにキュッキュッと高い音を出す全国的にも珍しい「鳴き砂」の名所としても知られている。しかし、穏やかな海岸に比べ、沖合は潮の流れが激しく海上の難所といわれてきた。岩礁が点在し、船が座礁することも少なくなかったそうだ。レンガ造りの初代灯台が築かれる遥か昔から、常夜灯や狼煙(のろし)台が置かれ、航海の安全を図っていたと伝えられている。
東日本大震災からの復興
塩屋埼灯台のある沿岸部は昔から風光明媚で穏やかな地域。しかし、その美しい景観が一変したのは2011年(平成23)3月11日の東日本大震災による甚大な被害だ。灯台は地震のため消灯し、海に面した豊間地区や薄磯地区には高さ8ⅿを超える津波が襲った。特に薄磯地区はほとんどの家屋が流されている。福島は原発被害の印象が強いが、大津波により尊い人命も数多く失われている。現在は海岸線に高い堤防が築かれ、地区全体を盛り上げる工事も行われている。塩屋埼灯台も、光を出す部分のガラスや回転モーターに大きな損傷を受けたが、同年11月末までに応急工事を終え、再び点灯することができた。灯台が立つ海側の断崖や灯台への通路が崩れたため、参観は約3年間休止されていたが、2014年(平成26)に再開した。
灯台周辺にも多くの見どころが
かつて灯台には灯台守(とうだいもり)と呼ばれる職員がおり、この塩屋埼灯台にも1993年(平成5)まで灯台守が常駐していた。全国の灯台を渡り歩く灯台守とその家族を描いた1957年(昭和32)公開の映画『喜びも悲しみも幾年月』の舞台として塩屋埼灯台も登場する。流行歌となった主題曲の歌碑が階段の登り口にある。また歌手・美空ひばりの『みだれ髪』でも塩屋の岬が歌い込まれ一躍有名になった。駐車場の隣にある「雲雀乃苑(ひばりのその)」には歌碑があり、さらに200ⅿほど北に「永遠のひばり像」も建立されている。雲雀乃苑から道路を挟んだ向かいにある「記憶石」は、東日本大震災の記憶と教訓を未来に伝える想いを形にしたもの。この震災で亡くなった女の子が生前描いた塩屋埼灯台の絵が刻まれている。さらにその先には、被災状況に関するパネル展示や津波映像を放映する「いわき震災伝承みらい館」もある。
スポット詳細
- 住所
- 福島県いわき市平薄磯字宿崎34 地図
- エリア
- いわきエリア
- 電話番号
- 0246393924
- 時間
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[3-9月]土日等9:00-16:30、平日9:00-16:00
[10-2月]9:00-16:00
※入場は30分前まで。
※土日等とは、土日祝、休日、GW(4/29-5/5)、8/10-19、12/29-1/3をいう。 - 休業日
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年中無休
※ただし、荒天や灯台工事に伴い休止する場合あり、その場合は、燈光会HPの残波岬灯台ページでお知らせ - 料金
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【参観寄付金】
[中学生以上]300円
※小学生以下、障がい者(介助の方1人まで)の方は無料です - 駐車場
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なし(ただし、灯台周辺に公園駐車場あり)
※無料 - クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 0-30分
- 乳幼児の入店
- 可(保護者による責任のもと可)
- 雨の日でも楽しめる
- はい
- 備考
- ※電話番号は塩屋埼支所に繋がります。
情報提供: ナビタイムジャパン