舞鶴引揚記念館
シベリア抑留を耐えた人々と最後まで迎え入れ続けた港の記録
シベリア抑留とは何か
1932年(昭和7)の満州国建国により、155-200万人の日本人が満州に移り住んだ。そして第二次世界大戦の勃発。1945年(昭和20)の終戦時、満州、ソ連(現ロシア)、中国、朝鮮半島、東南アジアなど海外に残された日本人は約660万人以上だったという。この人々が日本に帰ってくることを「引き揚げ」といい、博多や佐世保などが政府指定の引揚港となった。舞鶴港もそのひとつで、1945年(昭和20)10月7日の第1船の入港から1958(昭和33)年9月7日の13年間、引揚港の役目を務め続けた。舞鶴引揚記念館は、シベリアにおける抑留生活の歴史と苦難に満ちた引き揚げの実態、引揚港としての舞鶴市民の様子などを伝えている。
ユネスコ世界記憶遺産登録の豊富な資料
舞鶴引揚記念館は、引揚港となった入江を見下ろす丘にある。JR東舞鶴駅からバスで約20分、自動車なら舞鶴若狭自動車道東舞鶴ICからも20分ほどだ。約1万6000点の資料を収蔵し、テーマを設けて企画展を行う企画展示室、常設展示室、セミナールームに分かれている。特に常設展示室は、戦争の出征から始まり、シベリアに抑留されていた間の苦境の様子、舞鶴港に帰還した際の人々の思いなどをリアルに伝える展示で、見るものの心を打つ内容だ。2015年(平成27)には、「舞鶴への生還-1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」としてユネスコ世界記憶遺産に登録された。
シベリア抑留生活が身に迫る展示内容
ソ連に抑留された約60万人の日本兵や民間人は、極寒のシベリアや北極圏、コーカサス地方などの収容所へ連れて行かれてしまう。-30℃を下回る厳しい環境で食べ物もろくに与えられず、強制的に働かされる辛い日々、しかし帰国する希望を持って暮らしていた。常設展示では、抑留者が手作りしたスプーンやタバコケースなどの生活用品などの寄贈品、等身大の人形を使った復元模型を展示し、シベリアでの抑留生活をリアルに伝えている。
スポット詳細
- 住所
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京都府舞鶴市字平1584
地図
- エリア
- 舞鶴・宮津エリア
- 電話番号
- 0773680836
- 時間
- 9:00-17:00(入館は16:30まで)
- 休業日
- 12/29-1/1、第3木(8月と祝を除く)
- 料金
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【入館料】
[一般]400円
[学生(小学生-大学生)]150円
【団体料金(20名以上)】
[一般]300円
[学生(小学生-大学生)]100円
※ただし、市内在住か在学の学生は無料 - 駐車場
- あり(乗用車91台、バス13台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- あり(Japan Free Wi-Fiなど)
- コンセント口
- なし
- 滞在目安時間
- 30-60分
- 車椅子での入店
- 可(車椅子の貸出あり)
- 乳幼児の入店
- 可
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- ユネスコ世界記憶遺産
- 第2次世界大戦後に、旧ソ連軍による抑留生活を経験した記録が残っています。どれほどの苦労だったのかがわかり一度は訪れる価値がある場所です。
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- 戦争の悲惨さを知らしめる展示
- 舞鶴にある引揚記念館。赤レンガ倉庫群からは少し離れています。車で行きました。高台の上にあり、隣の公園からは引揚桟橋が望めます。こちらは、戦争の悲惨さを伝える展示が並んでいます。シベリアなど海外で捕虜などで抑留され、戦後になっても長い間日本に帰国できず、絶望と希望の間で過ごされた方々と家族の記録が胸をつきます。
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- 楽しい場所ではなく学ぶ場所です
- けっして楽しいところではありません。でも、訪れる価値はかなりあると思います。シベリアからやっとの思いで日本に戻った人たちですが、過酷な環境の中で生活を強いられていたことを学ぶことができました。大きくはないですのでゆっくりまわっても1時間はかかりません。ボランティアの方もいてますので説明を聞くことをおススメします。日本が起こした戦争の愚かさがわかります。
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