三角西港
明治三大築港のうち、当時の姿をほぼそのまま残す唯一の港
映画のセットのような港町
駐車場の横に、白壁で2階建て、テラスの装飾が優美な昔の迎賓館のような建物が立っている。建物の正面には芝生の広場があり、通りを渡れば堅固に石が積まれた埠頭が続いている。奥にも白い土蔵造りの建物や木造の大きな建物が見える。街灯などにもしゃれたデザインが施されていて、この港町全体が映画のセットのように思えてくるが、実はそうではなく、この三角西港は、明治期の港がほぼそのまま残っている日本唯一の場所。ユネスコ世界遺産にも登録されている。三角西港が位置しているのは宇土半島の西の端で、半島を海沿いにドライブしてくると、ずいぶん遠くまでやってきた気分になる。目の前の海峡の向こうには、天草の島が広がる。四方を山に囲まれ、半島と天草を結ぶ大きな橋が架かる景色は、レトロな雰囲気を残す三角西港だけではなく、風光明媚で見ごたえがある。
2015年(平成27)、世界文化遺産登録
三角西港は2015年(平成27)7月に、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録された。九州を中心に、岩手県釜石の鉱山、静岡県伊豆の国市の韮山反射炉、山口県萩市の萩反射炉など広い地域に残る23の資産から構成されている。これらの構成資産は、幕末からわずか60年余りで、西洋から日本へ近代産業のインポートが成功し、西洋と日本の伝統文化が見事に融合した過程を示している点で、世界史的にも特筆されるものとして評価されている。三角西港は1884年(明治17)に国の直轄事業として着工され、その3年後には開港した日本初の近代港湾施設で、国の特別輸出港にも指定され、九州の一大集散地として繁栄した。三国港(福井県)、野蒜(のびる)港(宮城県)とともに「明治三大築港」と呼ばれるが、当時の姿がほぼそのまま現存するのはここだけだ。
オランダ人技師が設計し日本人石工が施行
三角西港には前述のようにさまざまな建物が明治、大正期の姿を残している。最初に挙げた迎賓館のような建物「浦島屋」は、クラブハウスとして建てられホテルとして営業していた。「旧三角海運倉庫」や明治期の廻船問屋「旧高田回漕店」などのほか、後背地の山の手には「旧三角簡易裁判所」「旧宇土郡役所」など国の有形登録文化財に指定されている建物がある。だが、いちばん注目したいのは「石積み埠頭」だ。明治政府が雇ったオランダ人技師ムルドルが港全体の設計を行い、小山秀(ひいで)率いる天草の13万人もの石工たちが施行した。ムルドルは、当時の日本の基準を遥かに超えたスケールで道路や水路、街区の設計を行い、長崎のグラバー住宅や大浦天主堂を手がけた小山秀ら天草の石工はそれに応え、見事に西洋と日本の文化が融合した756mの石積み埠頭を代表する港を完成させたのだった。
スポット詳細
- 住所
- 熊本県宇城市三角町三角浦 地図
- エリア
- 八代・宇城・上益城エリア
- 電話番号
- 0964321954
- 駐車場
- あり(80台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- 喫煙
- 可(指定喫煙場所あり)
- 備考
-
※電話番号は宇城市教育委員会に繋がります。
※ガイダンス施設「龍驤館」入館料 大人200円、小人100円
情報提供: ナビタイムジャパン