西郷隆盛銅像
抜群のリーダーシップと政治力を誇った幕末のヒーロー
鹿児島天文館から徒歩10分ほどのところに立つ「西郷隆盛銅像」
JR鹿児島駅から鹿児島市電を乗り継ぎ、「朝日通」駅を下車して徒歩3分ほど西に歩くと、中央公園に出る。壁泉やじゃぶじゃぶ池などがある都会のオアシスで、市民の憩いの場となっている。西郷隆盛の銅像があるのは、そんな中央公園の向かい。西南戦争の最後の戦場となった城山を背景に、国道10号に向かって立つ姿は英傑の名にふさわしい。1937年(昭和12)、没後50年を記念して制作されたこの像は、彫刻家・安藤照氏による作品。なお、安藤照氏は東京渋谷にある忠犬ハチ公の作者としても知られている。
日本にある西郷隆盛の銅像は全部で3つ
日本で最初に作られた西郷隆盛の銅像は、東京の上野恩賜公園にある着物姿の像。2つめは霧島市の西郷公園に立つ、没後100年顕彰事業として制作されたもの。これらは着物姿であるのに対し、鹿児島市内にある3つめの西郷隆盛像は軍服姿であるのが特徴だ。高さは約8m。「敬天愛人」(天を敬い、人を愛することの意)を座右の銘にしていた西郷隆盛らしく、清濁合わせのむ覚悟をもったりりしい表情が印象的だ。
波乱万丈の人生を歩んだ西郷隆盛
西郷隆盛は薩摩藩の下級武士の生まれで、市内の下加治屋町という土地で育った。11歳の頃には喧嘩で右腕を負傷。これにより刀剣を扱うことができなくなり、剣術の代わりに学問に励むようになった。その甲斐もあって、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)に才を見いだされて側近となり、以降薩摩藩の中心人物として時代を切り開いていく。最終的には、明治維新において最大の功績を残した人物のひとりとなった。だが、そんな西郷隆盛も決して順風満帆な人生を送ってきたわけではない。2度の自殺未遂、2度の島流しを経験するなど、不遇のときも多かったという。そのような逆境魂や類いまれな生い立ちが、現代においても人をひきつける所以なのかもしれない。
波乱万丈な人生を生き抜いた西郷隆盛には、豪快なエピソードも多く残っている
大久保利通(としみち)銅像も合わせて訪れたい
西郷隆盛像からさらに西へ1.5kmほど歩くと、同じく維新三英傑のひとり「大久保利通銅像」も建てられている。大久保利通は、西郷隆盛よりも2歳8か月年下で、西郷とともにこの地で幼少期を過ごしたといわれている。銅像の高さは4.3m。日本近代化の父とも呼ばれ、その名にふさわしい風格あるいで立ちだ。また、大久保利通像から甲突川(こうつきがわ)に沿って南下していくと、鹿児島や日本の歴史を学べる「鹿児島市維新ふるさと館」、西郷隆盛と弟の従道(じゅうどう/つぐみち)が青年期を過ごした「西郷隆盛生誕地」もある。西郷隆盛像と合わせて巡れば、より深く鹿児島の歴史を楽しめる。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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