かみゆうべつチューリップ公園
道東に広がるチューリップの絶景と、町にまつわる物語
国道沿いに咲く約70万本のチューリップ
国道242号沿いに広がるかみゆうべつチューリップ公園には、200品種約70万本ものチューリップが咲き誇る。開花時期の5~6月上旬の1か月間にはチューリップフェアが行われ、町の人口の10倍近い人々が美しい風景を求めて押し寄せる。この公園ができたきっかけは1975年(昭和50)に、町の老人クラブが「老人農園」でチューリップ栽培を始めたことにあるが、本当の歴史は開拓時代までさかのぼる。湧別町上湧別地区は、屯田兵が開拓した。屯田兵はふだんは農業に従事し、有事には軍隊となる制度で、困窮していた元士族を救済し、ロシアの南下政策に備えるために設けられた。湧別原野に入植が始まったのは道内でも遅く、1897年(明治30)のことだった。
上湧別とチューリップの長い歴史の始まり
屯田兵には4万4000 平方メートルの土地が与えられることになっていたが、北海道で農業経営をするにはやや狭い。それでもこのエリアではリンゴ栽培などを開始。しかし昭和になると、寒い気候が影響し甘くならない上湧別のリンゴは、大幅に収益を落としてしまう。そんな時期に、農業経営や技術指導を行う国と道の施設「農業改良普及所」に赴任してきたのが、西川照憲(にしかわてるのり)だ。西川自身が屯田兵の2代目で、苦労のわりに生活が苦しい農業のありかたに問題意識を持っていた。そこで西川は、狭い土地でも収益が上がるアスパラガス栽培を農家にすすめ、これが成功。「もっと生活を向上させよう」と、当時急成長していた輸出作物のチューリップ栽培を提案したのだ。
「チューリップで夢を見よう」が合言葉
花で食べていけるのか?と不安に感じた農家の人も「チューリップで夢を見よう」を合言葉に、熱心に取り組んだ。その甲斐あって、上湧別から22万個も輸出するまでとなり、順調な成果を出していたのも束の間、1966年(昭和41)、オランダが球根を大量に世界に売り出したことで、値崩れを起こす。すでに上湧別を離れていた西川だったが、この知らせに地位を投げ捨て町に戻り、別の作物の指導を行って危機を救ったという。町の人々は出荷用のチューリップ栽培はやめても、夢を見させてくれたチューリップに愛情を持ち続け、畑の片隅でずっと育てていたという。そしてある日、老人農園ができた。定年退職していた西川に栽培指導を依頼し、みんなで広げていったのだ。
チューリップフェアの開催時期に訪れよう
チューリップ畑は国道を通る人々の目に留まる。それが話題となり、農園から整備された公園になった。例年開催されるチューリップフェアでは、広い敷地をまわる電動バスに乗ったり、オランダの民族衣装を着て記念撮影を楽しめる。ストリートオルガンをBGMに、公園を散策するのも楽しい。チューリップの色や形の豊富さに、その魅力を再発見できるだろう。この時期には、チューリップを掘って持ち帰る「掘り取り販売」や、植え付け時期の10月に球根が届く予約販売も行われる。期間中は飲食店が入園ゲート前にオープンテラスの店を出すなど、町中が賑やかな雰囲気に。なによりも、地元の人々が愛情をかけて育て続けるチューリップを見れば、幸せな気分で心が満たされるだろう。
スポット詳細
- 住所
- 北海道紋別郡湧別町上湧別屯田市街地 地図
- エリア
- 網走・紋別エリア
- 電話番号
- 0158687356
- 時間
- [フェア開催時入園時間]8:00-18:00(最終入園17:30)
- 料金
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【フェア開催時入園料】
[大人(高校生以上)]600円
[小・中学生]300円 - 駐車場
- あり(200台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- 喫煙
- 可(指定場所のみ)
- 平均予算
- 【昼】1-1,000円
- 滞在目安時間
- 30-60分
- 車椅子での入店
- 可
- 乳幼児の入店
- 可
情報提供: ナビタイムジャパン