北のウォール街
小樽の発展を支えた銀行群。近代建築の貴重な建造物
明治時代に建てられた日本銀行旧小樽支店。現在は金融資料館として活用
小樽の繁栄のあと押しをした銀行
明治の中頃から好景気が始まり、大正期には日本でも屈指の経済都市となった小樽。その小樽経済の中心となったのが、銀行の本支店が数多く集まっていた色内地区だ。「色内銀行街」と呼ばれ、大正末期には、日本銀行の支店も含めて最大25行があった。同じ時期、札幌に10行、函館には16行だったというから、いかに小樽に銀行が多かったかがわかる。現在の価値で総資産数十億円以上という商人が小樽から数多く輩出されたのは、これらの銀行の支援があったからだという。
旧北海道拓殖銀行小樽支店は、大正時代に建てられた。今は似鳥美術館として公開
銀行の数が町の盛衰と比例
小樽で最初に銀行の支店が設置されたのは、1879年(明治12)の第四十四国立銀行と記録が残っている。小樽に現存する銀行建築のなかでいちばん古いのは、1895年(明治28)に建てられた第百十三国立銀行。今はオルゴールの店として活用されている。当時、近代的な街並みが誕生し、商いのためや一攫千金を狙ってやってくる人も多く、活気にあふれていた小樽。しかし戦後、主力であった港湾商業の勢いは失速。昭和40年代に入ると銀行の多くは撤退し、小樽は斜陽の時代を迎える。
歩いていると見かける案内板。元第百十三国立銀行小樽支店の建物は、現在「オルゴール堂(R)海鳴楼」 ※(R)は登録商標マークです
新しい形で活用される銀行建築群
色内大通りや堺町通り、日銀通りとも呼ばれる浅草通り沿いには、今も数多くの銀行建築が残っている。これらのなかには辰野金吾、曾禰達蔵(そねたつぞう)といった日本の近代建築における名だたる建築家が手がけたものもあり、半径500mほどの範囲にこれだけたくさんの銀行建築が残っている都市はほかにない。明治、大正、昭和初期の建築様式の建物が残されており、近代建築史の縮図とも呼ばれている。1983年(昭和58)、小樽市は市内に残る歴史的建造物を保存するための条例を制定。銀行建築の数々は美術館や飲食店など新しい形で活用され、観光都市・小樽の一翼を担っている。
スポット詳細
- 住所
- 北海道小樽市色内
- エリア
- 小樽エリア
- 電話番号
- 0134324111
- 時間
- 店舗・施設により異なる
- 休業日
- 不定休(店舗・施設により異なる)
- 料金
- 店舗・施設により異なる
- 駐車場
- なし
- クレジットカード
- 不可
情報提供: ナビタイムジャパン