開陽丸記念館
江戸幕府最後の軍艦開陽丸で「幕末の激動」と「水中考古学」を学ぼう
徳川幕府・最後の軍艦の名は「夜明け前」
開陽丸は箱館戦争の只中に暴風雪に見舞われ、江差沖に沈んだ軍艦だ。100年以上を経た1975年(昭和50)から本格的に始まった海底発掘調査で、3万2905点の遺物が引き揚げられ、1990年(平成2)に実物大の開陽丸が復元された。開陽丸の「開陽」は、北斗七星の柄杓の柄から2番目にある恒星ミザールのこと。建造に合わせて留学した内田恒次郎は「Voorlichter(フォールリヒター)は『夜明け前』という意味」と説明している(Voorlichterとは、建造先のオランダにおける開陽丸の愛称)。開陽丸が見た近代日本の夜明け前を知ると、館内見学はさらに意義深いものになる。
幕末の歴史の陰で活躍していた開陽丸
1853年(嘉永6)に黒船が来航し、諸外国との文明の差を憂慮した幕府は、1866年(慶応2)オランダに軍艦を発注する。完成した軍艦・開陽丸は、内田を含む日本人留学生9人を乗せ、日本を目指した。150日の航海を経て横浜に到着したのは1867(慶応2)年4月30日(旧暦3月26日)。そのわずか数か月後の11月9日(旧暦10月14日)には大政奉還となった。最後の将軍・徳川慶喜は、復権に向けて鳥羽・伏見の戦いに挑むものの敗退。大阪湾に停泊していた開陽丸で江戸へと退却する。その開陽丸がなぜ、北海道にあるのか。のちに明治政府で活躍することになる榎本武揚が、旧幕府軍による「蝦夷共和国」の立国を目指し、開陽丸を旗艦に8隻で箱館を目指したからだ。
日本の「水中考古学調査」の先駆け
ここまでの歴史は、開陽丸内部にパネルなどで紹介されている。まずはそれらを読み、開陽丸の歩んだ道を追っていこう。船長室、士官室、会議室などに人物レプリカが置かれ、歴史に翻弄されながらも、大海原でより良い国造りを模索し続けた人々の姿を見ることができる。館内には、大砲や刀剣など、そのほか約3000点以上の本物の遺物があり、なかでもS&W(スミス&ウエッソン)のピストルなどは、幕末ファンならば何時間でも眺めていられるはずだ。また、貴重な資料は海底から引き揚げたため、脱塩処理など、保存までに多大な手間と時間を要した。こちらの保存処理を体験できる展示も用意されている。
開陽丸を起点に江差一帯を見学しよう
大砲の発射音体験や、操船シミュレーションを楽しめる開陽丸は、「江差いにしえ街道」を函館方面から西へ、海まで抜けた突端にある。ニシン漁やヒノキアスナロなどの積出港として繁栄を極めた江差の歴史に思いを馳せながら散策するのもいい。開陽丸から見える「かもめ島」は、江差のシンボル。日本最北に位置し、北海道で唯一の藩だった松前藩の重要拠点でもあった。道南旅行をするなら函館、松前の観光に合わせて、訪れるべきスポットだろう。開陽丸記念館の入り口となる「えさし海の家 開陽丸」では、土産物も購入できるほかカフェスペースも備えている。
スポット詳細
- 住所
- 北海道檜山郡江差町字姥神町1-10 地図
- エリア
- 大沼・松前・江差エリア
- 電話番号
- 0139525522
- 時間
- 9:00-17:00(券販売終了16:30)
- 休業日
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[4-10月]無休
[11-3月]月、祝の翌日(月が祝の場合は翌日と翌々日)、12/31-1/5 - 料金
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【入館料】
[大人]500円
[小中高生]250円
[小学生未満または幼児]無料
※団体(15名様以上)1割引き - 駐車場
- あり
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- あり
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 英語メニュー
- あり
- 滞在目安時間
- 30-60分
- 車椅子での入店
- 可
- 乳幼児の入店
- 可
- ペットの入店
- 可
- 雨の日でも楽しめる
- はい
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 一景の感はあると思います。松前城とセットでいかが
- 徳川幕府最後の将軍徳川慶喜が大阪城から江戸へ向かったときに乗った船ですよ。土方歳三らを乗せ北海道へ、その時2800名も乗せたとは・・江刺沖に沈んでいたのを見つけ色々展示物有りますよねもちろん船は復刻ものですが、こんなに大きいとは思いませんでした。
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