ビート資料館
「目からウロコ」なことばかり。砂糖にまつわる真実を知ろう
北海道が生産量100%のビートについて学ぼう
帯広の市街地からほど近い場所に「ビート資料館」がある。スズラン印の砂糖でおなじみの、日本甜菜製糖株式会社が運営する資料館だ。大正ロマンの香りがする2階建てのレンガ色の建物内には、ビートとビート輸送のために敷設された十勝鉄道にまつわる展示が並ぶ。砂糖の原料は、おもにサトウキビとビートの2種類。サトウキビは鹿児島や沖縄などの暑い地域で育ち、ビートは寒い北海道で作られている。同じ砂糖の原料なのに、栽培エリアは真逆だ。北海道で生産が始まり、今でも北海道が100%の生産量を誇るビートのすべてがここに詰まっている。
「砂糖に関する概念が変わる」と評判の案内
北海道にビートがやって来るきっかけになったのは、1878年(明治11)のパリ万博。のちに総理大臣となる松方正義(まつかたまさよし)は、ヨーロッパの「ビート糖業」を見て日本への導入を決めたが、当時は根づかせることができなかった。それから20年以上の時が経ち、正義の子である正熊(しょうくま)が、ビート糖業に再チャレンジ。寒冷作物地としての価値が見直され、普及が進んだ。資料館では清水館長が、展示室をまわりながらそんな歴史を含め、ていねいに解説してくれる。これが来館者に大好評で「砂糖のイメージが変わった」と虜になる人が多数。1回の案内は30~40分が目安。チャンスがあれば清水館長の案内でビート資料館を見学してほしい。
北海道最大の私鉄網はビートのためにできた
日本甜菜製糖株式会社は、私鉄(十勝鉄道)を運営していた歴史がある。当時の川西村郊外山裾から国鉄帯広駅までの65.5kmは、全道から集荷されたビートの搬入のみならず、砂糖製品の出荷を目的に敷設されたものである。1920年(大正9)に工場操業と同時に貨物専用として運行し、1923年(大正12)に十勝鉄道株式会社を設立。翌年には旅客業の免許を取得し、「十鉄(じってつ)」「トテッポ」と呼ばれ、十勝の人々の足となると同時に、十勝エリアの発展に大きく貢献した。鉄道業務は終えてしまったが、館内に飾られた列車に乗る人々の写真から、当時の十勝の暮らしが感じ取れる。
体にも地球にもやさしい甜菜糖の真の魅力
ビートは根の部分に糖分を蓄え、切り落とされた葉は有機肥料に使用される。「ビートは捨てる部分がないのです」と清水館長。糖分を搾り取ったあとに残る繊維「ビートパルプ」は家畜のエサになる。ビートは10月中旬が収穫期。カブにも見え「サトウダイコン」とも呼ばれるが、実はホウレンソウの仲間だ。「近年、白い砂糖が悪者のように扱われることがありますが、そもそも砂糖は白くありません。不純物が取り除かれ透明な糖液となり、それが純度の高い結晶(製品)になります。雪が集まると白く見えるのと同じで、砂糖の結晶も無色透明。それに砂糖には賞味期限もありませんよ」。清水館長の案内を聞けば、帰る頃にはすっかりビートに魅了されていることだろう。
スポット詳細
- 住所
- 北海道帯広市稲田町南8西14 地図
- エリア
- 帯広・襟裳エリア
- 電話番号
- 0155488812
- 時間
- 9:30-16:30
- 休業日
- 月、8/15、9/5、その他臨時休館あり
- 料金
- [入館料]一般300円、大学生200円、高校生以下100円(20名以上割引あり)
- 駐車場
- あり(10台、大型バス2台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- あり
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 30-60分
- 車椅子での入店
- 可(2F建てであり、1Fのみの観覧)
- 乳幼児の入店
- 可
- 雨の日でも楽しめる
- はい
情報提供: ナビタイムジャパン