清閑寺

寺院

旅人も目にした京の風景、歌の名所として名高い古刹

古くから花や紅葉の名所として知られた「歌中山(うたのなかやま)」にある寺院。平安時代末期には、高倉天皇に寵愛された小督(こごう)が出家をしたことが『平家物語』に記されている。「要石(かなめいし)」は願いを1つ叶えてくれる石として有名だ。

現在は真言宗智山(ちさん)派に属する寺院である} 現在は真言宗智山(ちさん)派に属する寺院である

文人・歌人に愛された「歌中山」

四条河原町から山科方面に向かう京都バスに乗車し、「清閑寺山ノ内町」で下車、坂道を約5分歩くと清閑寺(せいかんじ)が見えてくる。あるいは清水寺を参拝し、泰産寺(子安塔)近くにある門から出て、舗装された山道を10分ほど歩いても訪問できる。この辺りは古くから花鳥風月に恵まれ、文人、歌人はこの地の花と紅葉を好み、「歌中山」として愛され多くの和歌に詠まれてきた。なかでも有名なエピソードは、清閑寺の僧・真燕(しんえん)僧都が寺の門前にたたずむ美しい女性を見つけたとき、話をするきっかけに思わず清水寺への道をたずねたところ、女性は「見るにだに 迷ふ心の はかなくて まことの道を いかで知るべき」と歌を詠み、真燕の俗心を戒めて姿を消したという。実はこの女性は清閑寺の本尊・十一面千手観音菩薩の化身で、このことにより「歌中山」の地名が起こったと伝わる。境内へと続く階段を上り、拝観入り口となる山門へ向かおう。

清水寺から清閑寺へと続く古道。足元に気をつけて歩こう} 清水寺から清閑寺へと続く古道。足元に気をつけて歩こう

山門へと続く階段。登り口には六条天皇と高倉天皇の御陵がある} 山門へと続く階段。登り口には六条天皇と高倉天皇の御陵がある

『平家物語』に描かれる小督の悲恋が伝わる

拝観料となる志納金を山門に設置されている賽銭箱に納めて門をくぐると、苔の庭が広がる境内は閑寂な趣に包まれている。聞こえてくるのは鳥のさえずりや虫の声ばかりだ。寺院は平安時代の802年(延暦21)、比叡山の紹継(しょうけい)が草庵を結んだことに始まる。平安時代中期には一条天皇の勅願寺となり、鎮護国家の道場として法華三昧堂や宝塔が建立され、菅原道真御作の十一面千手観音菩薩を本尊として「清閑寺」と号する天台宗の寺院として隆盛した。平安時代末期には、第80代・高倉天皇が寵愛した小督が出家をし、のちに高倉天皇も遺言によって当地に葬られたことが『平家物語』に記されている。室町時代には幕府の保護を受けて大いに栄えたが、応仁の乱で荒廃し、慶長年間(1596~1615年)から江戸時代にかけて再興されている。寺域は縮小を余儀なくされたが、道真御作の本尊は現在でも本堂に安置されている(非公開)。

入り口となる山門。「歌中山」は清閑寺の山号でもある} 入り口となる山門。「歌中山」は清閑寺の山号でもある

本堂の前庭に小督の供養塔が静かにたたずむ} 本堂の前庭に小督の供養塔が静かにたたずむ

東国からの旅人が初めて京の景色を眺めた

境内の西端には「要石」と呼ばれる石がある。そこから西の方角を眺めると、谷あいに京都市街地が扇を開いたような角度で広がることから、扇の要の位置にあたるとしてそう呼ばれるようになった。かつて東国から大津、山科を経てやってきた旅人は、初めて目にする京都の風景であったことから名所となり、いつの頃からか要石に誓いを立てると願いが叶うという信仰が生まれた。平清盛によって宮中から追い出され、出家をした小督もこの場所から京の町を眺め、宮中での高倉天皇との暮らしぶりを懐かしんでいたと伝わっている。また幕末には西郷隆盛と勤皇僧としても知られる清水寺成就院の住職・月照上人が密議をこらした場所としても知られ、本堂の北側には茶室「郭公亭(かっこうてい)」の跡地を示す石碑が立っている。自然が豊かな一帯は春の桜や秋の紅葉も美しい。賑やかな清水寺からひと足延ばして、ぜひとも参拝に訪れてほしい。

「願いあらば 歩みを運べ清閑寺 庭に誓いの要石あり(詠み人知らず)」の歌にも詠まれた要石} 「願いあらば 歩みを運べ清閑寺 庭に誓いの要石あり(詠み人知らず)」の歌にも詠まれた要石

「郭公亭」は鐘楼の上に建てられていたが、傷みが激しく1991年(平成3)に解体された} 「郭公亭」は鐘楼の上に建てられていたが、傷みが激しく1991年(平成3)に解体された

スポット詳細

住所
京都府京都市東山区清閑寺歌の中山町3 map map 地図
電話番号
0755617292
時間
10:00-16:00
休業日
不定休
料金
[参拝料]志納(庭園のみ公開)
駐車場
なし

情報提供: ナビタイムジャパン

このスポットを紹介している記事

クチコミ

  • 平家物語 高倉天皇と小督ゆかりの寺
    4.0 投稿日 : 2022.11.02
    京都トレイルで今熊野から国道1号を超え階段を登ると清閑寺が見えて来ました。ここまで来ると清水寺から来る人も少なく静かなお寺です。平家時代末期、高倉天皇と小督の悲恋ゆかりのお寺。高倉天皇の寵愛を受けた小督、これが高倉天皇の正妻中宮徳子(のちの建礼門院)の父平清盛の逆鱗に触れ、小督は清閑寺にて出家させられる。失意のうちに3歳の安徳天皇に譲位し、21歳で高倉天皇は亡くなり、小督はここで高倉天皇の菩提を弔...
  • 西郷さんが討幕を語ったお寺
    4.0 投稿日 : 2020.03.02
    清水音羽山の中腹に位置し、東大路から京都女子大の坂を上り、一号線の高架をくぐり30分くらいするとお寺につきます。階段を登り小さな山門をくぐると、小さいですが、きれいに整備された境内があります。モミジが多いので春や秋はとてもきれいと思います。また、境内から京都市内が望め、京都タワーも小さく見えます。ここにある要石で誓いを立てると願いが叶うと言われています。現在はないですが、幕末は西堂隆盛と僧の月照が...
  • 隠れた名所71/71
    5.0 投稿日 : 2019.11.24
    京都一周トレイル東山コース上にある紅葉の隠れた名所です。大文字山から下りてくると現れました。路線バス停も近くにありました。

TripAdvisorクチコミ評価

もっと見る

アクセス

map map 地図

最寄り

          周辺の駅はありません。 周辺のバス停はありません。 周辺の駐車場はありません。 周辺のインターチェンジはありません。

          このスポットを共有

          back

          クリップボードにコピーしました