八代城跡

城/城址

八代市の中心にあり、美しい石垣と堀が残る歴史公園

熊本城とともに一国二城体制で熊本藩を支えた八代城。その城跡には、今も天守台・本丸跡の石垣や堀などが残っており、本丸跡には南北朝時代の皇子を祀った神社もある。桜の名所やお堀舟巡りでも知られる公園だ。

幅広い掘に囲まれた城跡。天気の良い休日には「お堀舟巡り」の観光客で賑わう 幅広い掘に囲まれた城跡。天気の良い休日には「お堀舟巡り」の観光客で賑わう

美しく積まれた石垣やお堀に囲まれた城跡

八代駅からバスで約10分。バス停から歩道を進むと、八代城跡の堀や石垣が見えてくる。きれいに積まれた石垣には、八代産の白い石灰岩が使われ、その白さから「白鷺城(しらさぎじょう)」とも呼ばれる。堀に架かる橋を渡ると、奥に見えるのが明治時代に本丸跡に建てられた神社「八代宮(やつしろぐう)」だ。後醍醐天皇の皇子で、南朝の征西将軍として九州に勢力を広げた懐良親王(かねながしんのう)が主祭神として祀られている。城跡は2014年(平成26)に国の史跡に指定。2017年(平成29)には「日本100名城」を定めた日本城郭協会から「続日本100名城」にも選定されている。

八代宮の二の鳥居。正面奥に見える建物は神門 八代宮の二の鳥居。正面奥に見える建物は神門

江戸時代の地震が築城のきっかけ

1619年(元和5)の地震により麦島城が崩壊したため、熊本藩主の加藤忠広は江戸幕府の許可を得て、家老の加藤正方に命じ、麦島城から北に1km余り離れた場所に築城した。これが八代城で、加藤正方が初代城主となった。当時は、幕府から一国一城令が出されていたが、特例として築城を認められ、肥後国(現在の熊本県)はその後も一国二城体制が継続されることとなった。1632年(寛永9)、加藤家に代わって細川忠利(ただとし)が熊本藩主となると、忠利の父・忠興(ただおき)と忠興の四男・立孝が八代城に入城。しかし、父子が続いて没したため、家老であった松井興長(おきなが)が城主となり、1870年(明治3)の廃城まで松井家が治めることとなった。ちなみに、八代城の大天守は1672年(寛文12)に雷火で焼失している。

八代宮の拝殿。奥には懐良親王を主祭神として祀る本殿がある 八代宮の拝殿。奥には懐良親王を主祭神として祀る本殿がある

境内にある霊社。八代市郡の戦没英霊を祀る 境内にある霊社。八代市郡の戦没英霊を祀る

桜とお堀巡りで人気の歴史公園

現在の八代城跡は公園として整備され、石垣にある階段を登れば八代市街を一望できる。また、約200本のソメイヨシノがある桜の名所としても知られており、花見シーズンには人々が集う。特に天守跡は、八代市街と桜を同時に見られるスポットだ。週末には、城のお堀を船で巡る「お堀舟巡り」が開催され、季節を通じて観光客で賑わう。雨天の場合は中止となることがあるため、事前に確認しておこう。

城跡には天守台・本丸跡の石垣や堀が残っている 城跡には天守台・本丸跡の石垣や堀が残っている

八代城にまつわる歴史スポットを巡る

八代城跡の周辺には、徒歩圏内に八代城に関連するスポットが点在する。八代市立博物館「未来の森ミュージアム」は、八代の文化と歴史を紹介する博物館だ。八代城主であった松井家が所蔵する美術品を中心に展示しており、八代城の城郭模型も見ることができる。国指定名勝の「松浜軒」は、城主の松井直之が1688年(元禄元)に建てた邸宅。6月上旬には約5000本の肥後花菖蒲が咲き誇る花の名所だ。少し離れた場所には、城主の細川忠興が大分の宇佐八幡宮の御分霊を迎え祀った「塩屋八幡宮」がある。1655年(明暦元)の松井興長の時代に現在地に社殿が築かれ、今も市民に親しまれている。

周辺には歴史をたどれるスポットが点在 周辺には歴史をたどれるスポットが点在

スポット詳細

住所
熊本県八代市松江城町7-34
電話番号
0965352448
休業日
無休
料金
[入場料]無料
駐車場
あり
クレジットカード
不可
電子マネー/スマートフォン決済
不可
Wi-Fi
なし
コンセント口
なし
滞在目安時間
30-60分
備考
※電話番号は八代宮へ繋がります。

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

最寄り

          周辺の駅はありません。 周辺のバス停はありません。 周辺の駐車場はありません。 周辺のインターチェンジはありません。

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