延岡城跡・城山公園
立派な石垣に圧倒される延岡市民の憩いの場
次々と藩主が変わった延岡城
延岡城は五ヶ瀬川と大瀬川を天然の外堀とし、標高約53mの丘に築かれた平山城。人工の内堀を縦横にめぐらした城郭内に本丸と二の丸、三の丸を配し、さらに西の丸には御殿があったという。延岡の地は奈良・平安時代から豪族の土持(つちもち)家が支配していたが、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の命により、武将・高橋元種(もとたね)がこの地に赴任。元種は関ヶ原の合戦の翌年から築城を始め、1603年(慶長8)に延岡城を完成させた。その後、藩主は有馬家、三浦家、牧野家と代わり、最後の藩主・内藤家の時代に明治維新を迎える。
敵を一度に殺す「千人殺しの石垣」
現在、延岡城址は城山公園として整備され見学が可能。1992年(平成4)に復元された北大手門から石段を上り、二の丸や本丸に行くことができる。天守台にある鐘は今も決まった時刻に時を告げている。かつての建物は残っていないが、築城当時の石垣は健在で、総延長70mにも及ぶ。なかでも有名なのが「千人殺しの石垣」と呼ばれる本丸の石垣で、大手門の階段を上ったところにある。高さが約19mもある石垣の隅の石をひとつ抜くと、全体が崩れ敵千人を一度に殺せるという伝承から命名された。どの石を抜くと石垣が崩れるのか、あれこれ推測してみるのもおもしろい。
復興と教育振興に貢献した内藤政挙
本丸広場には延岡藩最後の藩主内藤政挙(まさたか)の銅像が立つ。遠江(とおとうみ)掛川藩主太田資始(すけもと)の六男で、7代藩主内藤政義の養子となり、2年後に8代藩主となった。「亮天社」や「女児教舎」などの教育施設を建立して延岡に貢献した人物で、延岡藩知事を経て免官されたあとも、延岡大火からの復興や教育振興に貢献した。政挙像の直立不動の姿勢は、その信念の強さを物語るようにもみえてくる。周囲には約300本のソメイヨシノが植えられ、春には桜のトンネルからこの像を眺めることができる。延岡城の西の丸にあった内藤家の屋敷は寄贈され、現在は歴史資料や美術品などを展示する「延岡城・内藤記念博物館」として公開。展示品のうち、江戸時代初期の能面を使った「のべおか天下一薪能」が毎年開催され、能楽界の人間国宝など著名人が出演することでも知られている。
スポット詳細
- 住所
- 宮崎県延岡市東本小路 地図
- エリア
- 日向・延岡エリア
- 休業日
- 無休
- 料金
- 無料
- 駐車場
-
あり(北駐車場57台、南車場102台)
【利用可能時間】
[北駐車場]7:00-23:00
[南駐車場]9:00-22:00
情報提供: ナビタイムジャパン
アクセス
地図最寄り
- NEARBY HOTELS -
周辺のホテル
- NEARBY RESERVED PARKING -
周辺の予約制駐車場
【予約制】akippa 岡小ヨコ空地駐車場
760m
【予約制】akippa ヤマサキホケン駐車場【土日祝のみ】
1122m
【予約制】特P 大貫町3-720-2駐車場
1333m