天柱山 頼久寺
日本を代表する江戸初期の庭園が有名な禅宗の寺
寺の名の由来は、松山城主の名前
臨済宗永源寺派(えいげんじは)頼久寺の草創は不詳だが、1339年(暦応2)年に足利尊氏(あしかがたかうじ)が再興して備中の安国寺としたとされる。その後、備中松山城主上野頼久(うえのよりひさ)が戦国の乱世で荒廃したこの寺の伽藍を整備した。頼久の死後去、頼久の2文字を加えて安国頼久寺と改称。平素は頼久寺と呼ぶ。寺域内の墓所には上野氏や三村氏など備中松山城主の墓がある。
敷き詰めた砂の波紋で海を表現した庭
有名なのは書院東南面の国指定名勝の蓬莱式枯山水庭園だ。愛宕山を取り入れた借景に、庭一面に敷き詰めた白い砂の波紋で海を表現。その中央に2つの低い築山状の島を置いて石を組んで鶴島・亀島としている。サツキの大刈込みで大海を表現しており、ピンクや赤色のサツキが咲き誇る6月頃は特に見事な光景となる。鶴島は、書院東側から見ると神仙思想の伝説の蓬莱島、庫裡の縁側から見ると仏教の世界観で中心にそびえる須弥山に見立てることもできるという。小堀遠州の初期の作庭と考えられているが、作庭に携わった確かな記録は残っていないという。書院に座って庭を眺めていると、静けさに包まれ、タイムトリップしたような不思議な気持ちになる。
備中国奉行小堀遠州の執務場所が頼久寺
1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの直後、近江国(滋賀県)に生まれた小堀正次(まさつぐ)が備中松山城を守る幕命で初代備中国奉行となり、子の政一(まさかず、号は遠州)をともなって赴任した。遠州は父の英才教育を受けて、千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となり、作庭も手がけた。正次が急死したため備中国奉行となった遠州は、備中松山城が荒廃していたため、頼久寺で政務を執ったといわれる。
先に庭園が国指定名勝になっていたが、2009年(平成21)に寺域全体が国指定名勝になった。また、2019年には映画『燃えよ剣』のロケが行われている。
スポット詳細
- 住所
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岡山県高梁市頼久寺町18
地図
- エリア
- 高梁・吹屋エリア
- 電話番号
- 0866223516
- 時間
- 9:00-17:00
- 休業日
- 年中無休
- 料金
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【拝観料】
[大人]400円
[中高生]200円 - 駐車場
- あり(10台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- あり(2口)
- 喫煙
- 不可
- 英語メニュー
- あり
- 滞在目安時間
- 0-30分
- 乳幼児の入店
- 可
情報提供: ナビタイムジャパン
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クチコミ
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- 小堀遠州作の庭園が見事です
- 高梁市の市街地の北側にある武家屋敷群の道を南に向かうと、頼久寺に着きました。入り口の広い石段がなかなか素敵です。 頼久寺は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つです。このお寺のとくに有名なのが庭園です。国指定名勝にもなっているそうです。この庭園は、小堀遠州がつくった蓬莱式枯山水庭園です。お堂の縁に座って、ゆっくりと庭園を眺めました。手前の砂の波紋で海を表わし、島があり、サツキが海の波を...
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- 素敵な名園なんですが手入れがちょっと(?)でした
- 備中松山城に登った後、ふもとの高梁の市街地を散策してみました。武家屋敷が建ち並ぶ石火矢町の通りを南に進むと、左手に頼久寺へと続く石段がありました。 頼久寺は、1339年に足利尊氏が安国寺として建立したと伝わる由緒ある禅寺です。 特に庭園が有名らしく、国指定名勝になっているそうです。拝観料はかかりますが、庭園を見るためにお寺に入ってみました。 お堂の縁側に座って、ゆっくりと庭園を見ることができ...
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- 心がシーンと静かになる庭
- 伯父の四十九忌が頼久寺でありました。高梁の街より少し上に登り伯備線を越えたあたりにあります。中庭に枯山水が描かれ、眺めていると心が落ち着きます。
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