寺町通り

伝統的町並み/家並み

城下町・大野の歴史を感じさせる趣ある町並み

大野市街の東北端に位置する「寺町通り」は、9つの宗派の16か寺が通りに沿って南北に並ぶエリア。石畳の小路を歩くと、各寺院の境内から塀を越えて伸びる枝木が連続し、独特の景観を楽しむことができる。

寺町通りの北側にある浄土真宗寺院の長勝寺。山門前に同宗を開いた親鸞聖人の像が立つ} 寺町通りの北側にある浄土真宗寺院の長勝寺。山門前に同宗を開いた親鸞聖人の像が立つ

JR越前大野駅から徒歩8分

安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)、織田信長に仕えた部将・金森長近が一向一揆の鎮圧後、大野へ入封し、碁盤の目状の城下町整備を始めた。町の東端に寺院を集めて寺町をつくり、そこから越前大野城のある西に向かって五番・四番・三番・二番・本町通りを配置した。寺町には城下を支配しやすいよう各宗派の寺院を集積させたと伝えられる。城下町大野を象徴する町並みとして、地元では大切にされているエリアだ。JR越前大野駅からは徒歩8分ほどの距離にあり、車で来た場合も近くに城下町東広場駐車場や大野市元町駐車場がある。寺町通りの南端と接する、古い商家が軒を連ねる七間通りとあわせ、散策を存分に楽しんでみよう。

真言宗寺院の大宝寺。黒塀と見越しの松が格式を感じさせる} 真言宗寺院の大宝寺。黒塀と見越しの松が格式を感じさせる

南北にわたる寺町通りと東西にわたる八間通りが交差} 南北にわたる寺町通りと東西にわたる八間通りが交差

塀と塀の間から、手入れの行き届いた庭を垣間見ることができる} 塀と塀の間から、手入れの行き届いた庭を垣間見ることができる

心癒やされる静けさに満ちた空間

寺町通りでは、南北に延びる約350mの一本道に沿って寺院が立ち並んでいる。どの寺も広い境内を有していることから、通りに面するそれぞれの塀も長い。塀と塀の境界が判別できないところもあるので、通り全体が一体的に感じる。静寂に包まれたそのなかを歩くと、異世界にすっぽり入ったような気分になる。塀の屋根からのぞく木々の枝葉は四季の移ろいとともに色合いと樹影が変化し、寺町通りは季節ごとにその表情を変化させる。機会があるなら、シーズンを変えて二度、三度と足を運んでみてもいい。心を洗う癒やしの散策を堪能してみよう。

通りはほぼ一直線。城下の整備が始まったのはまだ戦国時代で、寺院群は町の東側を防衛する盾の役割もあったと推測される} 通りはほぼ一直線。城下の整備が始まったのはまだ戦国時代で、寺院群は町の東側を防衛する盾の役割もあったと推測される

奥之院の門前にはお地蔵様が安置されている} 奥之院の門前にはお地蔵様が安置されている

地元で名君とあがめられる藩主の墓も

城下町全体と併せ寺町通りを整備したのは金森長近だが、江戸時代の1682年(天和2)から 藩主として大野藩を治めた土井家とのゆかりを感じさせる場所が寺町通りにはある。通りの北端から数えて東側2つ目の寺院の善導寺は土井家の菩提寺で、同寺から斜め向かいの角地に土井家の墓所がある。藩主の墓7基と藩主子女の墓7基など計17基が集まっており、墓石はどれも時代を感じさせるものばかり。目立つのは7代利忠の墓で、自然石を利用した墓石に「柳涯墓」と刻まれている。全国的な知名度はないが、利忠は1800年代半ば、優れたリーダーシップを発揮して藩政改革を断行。君臣一体となっての倹約、地場産品の奨励、領内の銅鉱山の直営化、有能な人材の登用などによって莫大な借財に苦しんでいた藩財政を立て直し、地元では名君として親しまれている。土井家墓所前の案内板には「土葬ノタメ石畳ノ上ヲオアルキクダサイ」と記されている。マナーを守って墓参しよう。

江戸時代に大野藩主を務めた土井家の累代墓所} 江戸時代に大野藩主を務めた土井家の累代墓所

スポット詳細

住所
福井県大野市錦町 map map 地図
電話番号
0779661111
駐車場
あり(100台)
クレジットカード
不可
電子マネー/スマートフォン決済
不可
滞在目安時間
0-30分
備考
※電話番号は大野市観光交流課へ繋がります。

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

map map 地図

最寄り

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