王子稲荷神社
大晦日、狐が各地から集まってくる伝説で有名な関東稲荷総社
11代将軍家斉が再建した社殿
王子稲荷神社の正門から境内に上がる石段の間には幼稚園があり、平日は基本的に通ることができないので、横の急な坂道を上がって境内へと入る。境内の本殿前へ出て石段のほうを見ると、少し先に新幹線の高架橋が同じような高さに続いていた。王子稲荷神社の創建は不明だが、神社の案内所によると平安時代中頃には相当の社格を有していたという。源頼義は奥州追討の際、同社を深く信仰したとされる。江戸時代には徳川将軍家の祈願所と定められていた。3代家光は1634年(寛永11)に社殿を造営。5代綱吉は1703年(元禄16)、10代家治は1782年(天明2)にそれぞれ修繕を寄進。さらに1822年(文政5)には11代家斉が社殿を新規再建した。第二次世界大戦で本殿などは大破したが、1960年(昭和35)に本殿は再建された。現在の社殿は拝殿と幣殿(へいでん。拝殿と本殿の間の建物)は江戸の文化文政時代、本殿は昭和の作ということになる。
今も残る「お穴さま」
王子稲荷神社は関東稲荷総社の格式をもつ。稲荷神の神の使いは狐。境内にはかつてたくさんの狐が棲んでいという。境内の奥には、狐が棲んでいたとされる跡が「お穴さま」として祀られている。狐に関する伝説の中でも、いちばん有名なのは落語『王子の狐』だろう。狐が人間の女に化けるところを見た男が、逆にだまそうと声をかけ、料理屋で飲ませて眠らせ代金や土産代も払わせた。それを友人に話すと「狐が怒って何をするかわからない」と言われ男は怖くなり、次の日、牡丹餅を持って狐に詫びに行く。化けた狐は留守で、その子どもがいたので昨日のことを詫びつつ牡丹餅を置いていった。帰ってきた狐が子どもから話を聞いていると、子どもが牡丹餅を食べようとしたので「馬の糞かもしれない」と止めるという噺。ふだん人間をだましていた狐と人間の立場が逆転して、狐が人間を疑ったわけだが、狐と人間の関わりの深さも伝わってくるのではないだろうか。
大晦日には「王子狐の行列」も
庶民の間で稲荷信仰が盛んになったのは、大老にまで出世した田沼意次の屋敷に稲荷が祀られていたためともいわれる。商売繁盛のご利益で知られるお稲荷様だが、王子稲荷神社では火事除けでも有名。2月の初午は「火よけの凧守」が授与される「凧市」で賑わう。凧がお守りになっているのは、「江戸の火消しの印半纏と奴凧の姿が似ていたため」など諸説あるが、江戸中期からのこの行事は今も東京名物となっている。『江戸名所図会』などには、毎年大晦日の夜、各地の狐が王子稲荷神社に集まってくると記されている。狐たちはクスノキの大木の下で身支度したと伝えられ、そのクスノキは「装束榎」と呼ばれた。「装束榎」があったとされる場所は王子稲荷神社から線路を挟んで反対側で、今は装束稲荷がある。毎年大晦日、ここから王子稲荷神社まで、狐の扮装をした人たちが練り歩く「王子狐の行列」が行われている(開催状況については「王子狐の行列」公式サイトを参照)。
スポット詳細
- 住所
- 東京都北区岸町1-12-26 地図
- エリア
- 巣鴨・駒込・王子エリア
- 電話番号
- 0339073032
- 駐車場
- あり(3台)
- クレジットカード
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
情報提供: ナビタイムジャパン
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