玉名温泉観光旅館協同組合
1300年の歴史にゆかり? 温泉大通り沿いの足湯を楽しむ
しらさぎの足湯でのんびり
九州新幹線の新玉名駅方面から、繁根木(はねぎ)川を渡って玉名市街へ向かう。通り沿いには「温泉大通り」の標識が立っている。幅が広く、ゆったりとカーブを描く大通り沿いには、大きな温泉宿が点々と並んでいる。この大通り沿いにある立願寺公園は、こぢんまりとしているものの、緑が豊かで、手入れの行き届いた公園だ。その一角に、しらさぎの足湯がある。園内を流れている川の流れは、この足湯が源。手を伸ばして触れてみると、思っていたよりも熱い。足湯には、帰宅途中の高校生らしき姿もあり、地元の人たちにも親しまれていることがよくわかる。放浪の俳人として知られる種田山頭火も、しばしばこの地に立ち寄り、温泉を楽しんだという。実はここの「立願寺」と「しらさぎ」の名前は、玉名温泉の伝説と歴史に由来している。
「長者伝説」と温泉の発見
伝説によれば、温泉の歴史は1300年前にさかのぼる。都に暮らす姫は、信仰する観世音様より、肥後国小岱山のふもとで炭焼きをしている者を夫にするべしとのお告げを受けた。玉名温泉があるのは、小岱山のふもとの立願寺疋野という地。姫はここへ下ってきて、炭焼きをしている小五郎と結婚しようと決めたものの、小五郎は貧乏を理由に断る。それでも姫は、金を与え結婚を迫ったが、小五郎はこれを沼地に投げてしまう。金は沼地にいた白鷺の脚に当たり、傷ついた白鷺は湯けむりの立つ田んぼでしばらく休むと、元気になって飛び去った。小五郎はそこに湯が湧いているのを発見したという。「しらさぎの足湯」の名称は、この伝説がもととなっている。
立願寺温泉から玉名温泉へ
ところで玉名の地には奈良・平安時代、立願寺という寺があり、この地方の中心となっていた。玉名温泉はもともと立願寺温泉と呼ばれていたのだった。ただ、『玉名市史 通史編下巻』によると、立願寺温泉は湯の温度が低く、冬場は休館していたという。本格的な温泉開発は、明治・大正時代に開始され、温泉宿も増えていったようだ。最も賑わったのは、「戦後三池炭鉱が石炭景気に沸いた時期と一致する。大牟田の奥座敷として炭鉱労働者の保養地だった」(『熊本の温泉と休養地』熊本日日新聞社)。そして、1954年(昭和29)4月、玉名市が誕生。玉名の中心が繁根木川と菊池川に挟まれた高瀬町だったため、国鉄の駅名は高瀬駅だったが、1956年(昭和31)に玉名駅に名称変更される。立願寺温泉の名称が玉名温泉に改称されたのは1959年(昭和34)のことだった。現在、立願寺の名前はこの公園や住所のみに残されている。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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