福澤諭吉旧居・福澤記念館
明治の偉人・福沢諭吉が少年期を過ごした日本家屋
日本の近代化を支えた偉大な思想家の原点
昭和から平成、令和と1万円札の顔として親しまれてきた福沢諭吉。日本の幕末から明治にかけて、数多くの人材を輩出した教育者として、また西洋思想をいち早く紹介した思想家として知られている。中津藩の下級武士の子として生まれた諭吉。幼少期から、長崎に蘭学のため遊学する19歳まで、この家で過ごした。勉学のため諭吉がみずから改造した土蔵が残っていて、少年時代から学問を愛した面影をしのばせる。福沢諭吉の人物を形成した住まいや周囲の環境をじっくりと見学しよう。日本の近代化や民主主義の礎を支えた啓蒙思想家が、実際に暮らした場所として貴重なスポットであり、1971年(昭和46)には国の史跡に指定された。日本の夜明けに活躍した偉人の原点を間近に見ることができる。
学問を目指し幼少期から青年期を過ごした住居
1835年(天保5)、福澤諭吉は大阪の中津藩蔵屋敷で生まれた。13石2人扶持の下級武士で、藩の回米方を務めた福澤百助の次男だったが、1歳6か月のとき父が急逝。1836年(天保6)、末子の諭吉は母子6人で藩地の中津に帰郷する。最初は父が大阪へ赴任する前に住んでいた留守居町の小さな家だったが、その後、現在の福沢諭吉旧居の家に移り住んだ。なお、当初の住まいの建物は現存しないものの、旧居の駐車場の脇に宅跡として整備されている。諭吉はこの旧居で1848年(嘉永2)頃から1854年(安政元)に長崎に遊学するまで、幼少期から少年期、青年期という人格形成に重要な約18年を過ごしている。暮らしは貧しかったが、学問への志は高く、14、5歳になると儒学者白石照山の塾に学んでいる。
土蔵の2階で勉学に励んだ諭吉の原点
江戸時代の武家屋敷の遺構としても貴重な福沢諭吉旧居。敷地の南寄りに木造の草葺きで平屋建ての母屋がある。6畳2間と8畳、4畳半がある江戸時代の日本家屋だ。また、母屋の北に残る土蔵は木造の瓦葺きで2階建て。幼い頃から学問が好きだった諭吉は、みずからの手で改造。2階の小さな窓から差し込む光を明かりにして勉学に励んだといわれている。諭吉は、蘭学のため長崎に遊学した後も、1870年(明治3)に母らをともなって東京に帰るまで、数回この家に帰省した。現在まで伝えられている「中津留別之書」自筆原稿は、このとき故郷中津の人々に向けて残したメッセージである。
日本人に西洋の思想や文化を伝えた後半生
長崎遊学の翌年、1855年(安政2)に幕末の志士を輩出した大阪の蘭学者・緒方洪庵の適塾に入ると、諭吉はいっそう勉学に励む。その実績を認められて、1858年(安政5)、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開いた。現在まで続く慶應義塾の誕生である。1860年(万延元)には、勝海舟らとともに「咸臨丸(かんりんまる)」で渡米。アメリカからヨーロッパへと足を運びながら、社会制度や思想、文化などを貪欲に吸収して帰国した。西洋での新鮮な経験に基づいて書かれた『学問のすゝめ』や『西洋事情』などの著作は、明治維新を迎えた日本の近代化を導く精神的指標となったのである。旧居に隣接する福澤記念館には、そんな諭吉の一生がわかる展示や史料を見学できる。『学問のすゝめ』の初版本や1万円札の1号券はぜひ実物を見ておきたい。
スポット詳細
- 住所
- 大分県中津市留守居町586
- エリア
- 宇佐・中津エリア
- 電話番号
- 0979250063
- 時間
- 9:00-17:00(最終入場16:30)
- 休業日
- 12/31
- 料金
-
【観覧料】
[大人(高校生以上・一般)]400円
[小人]200円 - 駐車場
- あり(30台、大型バス5台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- あり(Do-spot wifi)
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 英語メニュー
- あり(英語パンフレット)
- 滞在目安時間
- 30-60分
情報提供: ナビタイムジャパン
アクセス
最寄り
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