旧五輪教会堂
信徒の熱意が解体の危機を救った、歴史的に貴重な文化財
潜伏キリシタンの歴史を伝える久賀島の集落
五島列島の福江島(ふくえじま)から小型船で約20分。馬の蹄(ひづめ)のような形をした久賀島は、水田やヤブツバキの原生林が広がる自然豊かな島だ。現在はおもに農業や牛の肥育が行われ、約300人が暮らす。18世紀後半、長崎の外海(そとめ)地方から弾圧を逃れて久賀島へと移住した潜伏キリシタンは、既存の仏教集落から隔絶した場所に集落をつくった。その1つが、旧五輪教会堂のある五輪地区だ。潜伏キリシタンたちは、仏教集落の住民と漁業や農業をともに行うことで互助関係を築き、ひそかに信仰を続けた。そして1873年(明治6)に禁教が解かれると、迫害を乗り越えた信徒たちはカトリックへと復帰し、各集落に教会堂を建設した。旧五輪教会堂はもともと、1881年(明治14)に浜脇教会として建立されたもの。老朽化し手狭になった浜脇教会を新築する際、自分たちの集落にも教会が欲しいという五輪の人々の願いに応え、1931年(昭和6)に現在の場所に移築された。
明治初期の教会堂建築を物語る貴重な建造物
福江島からの定期船が到着する田ノ浦港から旧五輪教会堂へは車で約40分。さらに10分ほど歩くと、小さな入り江に面して立つ教会堂が見えてくる。木造平屋瓦葺きの一見日本家屋のように見える建物の上に、小さな十字架が立っている。旧五輪教会堂は、50年以上にわたってこの地域に暮らす信徒たちの信仰のよりどころだったが、老朽化のためすぐ隣に五輪教会が新築され、1985年(昭和60)に教会としての役目を終えた。その際に解体の話がもちあがったが、価値ある建造物を守ろうとの関係者の熱意と地元信徒たちの協力により、当時の姿で保存されることとなった。内部は三廊式になっており、板張りのリブ・ヴォールト天井、先が尖ったポインテッドアーチ型の窓、ゴシック風祭壇など、本格的な教会建築様式が見られる。地元の大工がフランス人宣教師に教わりながら建てたといわれ、当時の教会堂建築を知るうえで歴史的に貴重な建造物だ。
キリシタン迫害の歴史を刻む、殉教の地に立つ教会
久賀島を訪れたら、大開(おおびらき)地区にある「牢屋の窄(ろうやのさこ)殉教記念教会」にも立ち寄りたい。1868年(明治元)、島内の信徒たちが捕らえられ、この地で残酷な責め苦を受けた。のちに「五島崩れ」と呼ばれる、五島におけるキリシタン弾圧のきっかけになった出来事だ。わずか12畳ほどの狭い牢屋に200名余りが8か月にわたって押し込まれ、飢えや病、拷問のために39名が死亡。出牢後の死者3名をくわえると42名の信徒が命を落とした。その歴史を伝えるため殉教の地に教会堂が建てられ、毎年秋には五島内外の信徒や巡礼者が集まって「牢屋の窄殉教祭」が行われる。またここから車で5分ほどのところに「久賀島観光交流拠点センター」がある。明治中頃に建てられた旧藤原邸を利用したもので、武家屋敷造りの屋内を見学しながら、久賀島の自然や景観、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」などについて学ぶことができる。
スポット詳細
- 住所
- 長崎県五島市蕨町993-11 地図
- エリア
- 五島列島エリア
- 時間
- [見学可能時間]9:00-17:00
- 休業日
- 12/28-1/3(閉館)
- 駐車場
-
あり(2台)
※教会堂より800m手前にあり - Wi-Fi
- あり(GOTO_Free_WiFi)
- 喫煙
- 不可
情報提供: ナビタイムジャパン