照國神社
県下最多の参拝者数を誇る鹿児島の総氏神
島津斉彬(なりあきら)を祀る鹿児島を代表する神社
鹿児島市の繁華街である天文館から照国通りを城山に向かうと大きな鳥居が見える。1929年(昭和4)建立の大鳥居の高さは19.8m。前年の昭和天皇の御大典(即位の礼)を記念して建てられたもので、見上げるほどの高さを誇っている。現在の社殿は鉄筋コンクリートを中心に使った近代的な建物だ。明治初期、創建当時の社殿は権現造りだったが、1877年(明治10)の西南の役の戦火で焼失。1882年(明治15)に流造りで再建されたが、1945年(昭和20)8月の戦災で再び焼失した。本殿、拝殿、神門は戦後の1953年(昭和28)、1958年(昭和33)にそれぞれ再建。その後、授与所や幣殿も建てられて、今の境内になった。城山を背景に自然豊かで落ち着いた雰囲気がある。
「照国大明神」を天皇から授与された幕末の名君
御祭神の島津斉彬は、幕末に集成館と呼ばれる近代技術を使った工場での製造事業を推進した薩摩藩主であった。島津家第28代当主だった7年の間に、のちの明治維新の英雄となる西郷隆盛や大久保利通を登用して、幕末日本をリードした名君とされる。造船にも乗り出した斉彬は、日本で最初の洋式帆船「いろは丸」や蒸気船を建造するなど、各方面で日本の近代化の基礎を築く。その活躍は幕末の動乱に揺れる日本各地へと影響を及ぼし、明治維新の扉を開いた。また、幕臣の勝海舟は島津斉彬を「幕末第一等の英主」と呼ぶほど、評価が高かった。没後の1863年(文久3)に時の天皇から「照国大明神」の神号を授与される。生前の遺徳を顕彰しようと地元を中心に神社設立の運動が起こり、1864年(元治元)に上野寛永寺の末寺で東照宮を祭っていた南泉院跡に社殿が建てられたのが始まり。
城山の自然を感じる落ち着いた境内
照國神社は、鹿児島市中心部の照国町に鎮座し、鹿児島の総氏神として崇敬を集めてきた。境内は、鶴が羽を広げたような城域の形から「鶴丸城」とも呼ばれてきた鹿児島城の山麓に広がる。西南戦争の最後、追い詰められた西郷隆盛らが立てこもって自刃した場所としても知られている。照國神社のご利益としては、祭神の島津斉彬にあやかって商売繁盛や学業成就・合格祈願などが知られている。境内の入り口には城山をバックに大鳥居がそびえ、鳥居をくぐると、イヌマキの木をツルが両翼を広げた形に刈り込んでいる「斉鶴」という植木が目に飛び込んでくる。堂々とした神門から拝殿の前まで進んで、参拝しよう。拝殿の左手には濠が巡らされていて、その奥の本殿へと続いている。
近代日本の礎を築いた鹿児島の先人をしのんで
商売繁盛を祈願する参拝者があとを絶たない境内社は、稲荷の神様・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)を祀る保食神社だ。照国稲荷とも呼ばれていて、境内でひときわ真っ赤な鳥居が目をひく。保食神社の脇をそのまま進んでいくと、水宮の鳥居がある。鳥居の奥には、神社が創建される前からあったといわれる水神を祀っている。城山から湧き出る清水の守り神だ。一方で、本殿の東側の境内地には、祭神の島津斉彬公銅像が参拝客を静かに見守っている。その隣には戊辰戦争で活躍した将兵を讃える「戊辰の役戦士顕彰の碑」や鹿児島県護国神社の頓宮(仮の神殿)がある。鹿児島の城山の麓に広がる照國神社。観光で近くを訪れた際は、明治の近代化への道を開いた島津斉彬や維新の志士たちに思いを馳せたい。
スポット詳細
- 住所
- 鹿児島県鹿児島市照国町19-35 地図
- エリア
- 鹿児島エリア
- 電話番号
- 0992221820
- 時間
- [受付時間]9:00-16:30
- 休業日
- 年中無休
- 料金
- 無料
- 駐車場
- あり(50台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- なし
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 滞在目安時間
- 0-30分
- 車椅子での入店
- 可
- 乳幼児の入店
- 可
- ペットの入店
- 可(神門内不可)
- 雨の日でも楽しめる
- はい
情報提供: ナビタイムジャパン
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アクセス
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