観世音寺

寺院

太宰府で出合う九州随一の仏像彫刻の宝庫

その昔、西海道といわれた九州で仏教寺院の中心となり、49もの子院をもっていた観世音寺。今は規模が縮小されたが、当時の大きさのわかる遺構が随所に残る。

緑濃い並木道を進むと正面に見えてくる講堂} 緑濃い並木道を進むと正面に見えてくる講堂

鑑真が戒壇院を設置し寺は発展

観世音寺は7世紀後半、天智天皇が母・斉明天皇の供養のため発願し746年(天平18)に創建された。その後、大宰府の大寺(府大寺)として西海道(九州)の仏教寺院の中心となり、761年(天平宝字=てんぴょうほうじ=5)、鑑真により、僧になる者が戒めを授かる授戒の寺、戒壇院(かいだんいん)が設けられるとさらに発展。最盛期には49もの子院があったといわれる。
しかし、時代の流れで寺は縮小され、平安時代末期以降は観音信仰の寺として信仰を集めるようになった。以後、建物焼失に見舞われるなどして姿は移り変わり、現在は17世紀に建立された金堂と講堂が残るだけとなっている。

講堂には宝蔵ができるまで、「馬頭観音立像」など5体の仏像が安置されていた} 講堂には宝蔵ができるまで、「馬頭観音立像」など5体の仏像が安置されていた

かつての規模を物語る遺構の数々

県道に面して立つ標石から並木道の参道を北に進むと、正面に講堂が、左手に金堂が見えてくる。金堂は1631年(寛永8)、講堂(本堂)は1688年(元禄元)、福岡藩第3代藩主・黒田光之によって再建されたもの。発掘調査によると、創建時の金堂は現在の2.5倍もの広さがあったことが判明している。

参道入り口を示す標石。交通量が多い県道から一歩入ると別世界が広がる} 参道入り口を示す標石。交通量が多い県道から一歩入ると別世界が広がる

ほかにも日本最古と伝わり国宝に指定されている梵鐘(九州国立博物館に展示)が吊るされていた鐘楼や南大門、五重塔、僧房の跡を示す礎石、創建期に塗料のもとをひいた臼「天平石臼」などがあり、かつての規模をしのぶことができる。

梵鐘の鐘楼。菅原道真は「都府楼はわずかに瓦の色をみ、観音寺はただ鐘声を聴くのみ」と詠んだ} 梵鐘の鐘楼。菅原道真は「都府楼はわずかに瓦の色をみ、観音寺はただ鐘声を聴くのみ」と詠んだ

南大門の礎石。ただ、礎石の位置は移動されている可能性があるという} 南大門の礎石。ただ、礎石の位置は移動されている可能性があるという

牛の力を借りて回した石臼。創建期のもので間違いないといわれている} 牛の力を借りて回した石臼。創建期のもので間違いないといわれている

高さ5mを超える国重要文化財の仏像に圧倒される

礎石などとともに、かつての寺の勢いを伝えているのが境内にある宝蔵(入館料500円)だ。館内には平安時代から鎌倉時代に作られた仏像16体を展示。すべて国の重要文化財に指定されている。

1959年(昭和34)に完成を見た宝蔵。講堂に向かって右手にある} 1959年(昭和34)に完成を見た宝蔵。講堂に向かって右手にある

宝蔵は高床式で展示スペースは階段を上がったところにあるが、まずは立像の大きさに圧倒される。「馬頭観音菩薩立像(ばとうかんのんぼさつりゅうぞう)」「十一面観音菩薩立像(じゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう)」「不空羂策観音立像(ふくうけんさくかんのんりゅうぞう)」の3体は、どれも高さが5mを超える。保存状態もよく、威厳に満ちた尊顔や細工をつぶさに見ることができて、その美しさに感動を覚えるかもしれない。

貴重な仏像を間近に見ることができる} 貴重な仏像を間近に見ることができる

館内では展示物の説明アナウンスが流れるので、それを聞きながら順に見ていくと貴重さがよくわかり、理解は深まるはずだ。
ほかにも創建時の建物の瓦や出土物、海外からの客をもてなすために使われた舞楽面などが展示されており、海外交流の拠点として高い文化を誇った大宰府の歴史を知ることができる。

スポット詳細

住所
福岡県太宰府市観世音寺5-6-1 map map 地図
電話番号
0929221810
時間
9:00-17:00
休業日
無休
料金
[拝観料]大人500円、高大生300円、小中生150円
駐車場
あり(13台)
クレジットカード
不可
電子マネー/スマートフォン決済
不可
Wi-Fi
なし
コンセント口
なし
喫煙
不可
滞在目安時間
30-60分
乳幼児の入店

情報提供: ナビタイムジャパン

アクセス

map map 地図

最寄り

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