石舞台古墳
飛鳥時代の権力者の古墳!?
国営飛鳥歴史公園・石舞台周辺地区
石舞台古墳は、明日香村内に5つのエリアが点在する国営飛鳥歴史公園のなかの石舞台周辺地区にある。古墳のすぐ下には、かつての棚田の地形を残した芝生広場や、屋外ステージも整備され、イベントが開催されることも。
「飛鳥の顔」ともいえる石舞台古墳は、現在石室だけの姿となっている。30個の巨石を積み上げたその姿は圧巻。重機のない時代にどのように積み上げたのか、古代の人々の知恵と、それをさせるだけの強大な権力が感じられる。江戸時代の『西國三十三所名所圖會(さいごくさんじゅうさんめいしょずえ)』にはすでに現在の盛土のない姿で描かれており、古くから観光名所として親しまれてきた。ここは有料エリアとはなるが、石舞台の周辺は整地され、ぐるりと1周することができる。
日本最大級、岩の総重量2300tの石舞台古墳
古墳は埋葬者を納めた「玄室」(奥室)、玄室に至る通路である「羨道(せんどう)」で構成されており、中に入ることも可能。玄室は長さ7.7m、幅3.5m、高さ4.7m。手を伸ばしても余りある大きさだ。埋葬者を納める人々も、同じ羨道を通り、棺の横で別れを惜しんだのかもしれない。1世紀ほどのちの古墳時代終末期になると、石室を構成する石組は四角に加工され、意匠を凝らす代わりに、石室のサイズは2-3m程度と小さくなる。時代ごとの違いを体感してほしい。春には外周に植えられた桜の咲き誇るフォトスポットとしても知られている。
石舞台古墳は蘇我馬子の墓説も
『日本書紀』には、蘇我馬子は「桃原墓に葬る」と記されている。この桃原墓と目されているのが、現在の「石舞台古墳」で、その理由としては、時代、規模がある。
もうひとつ、石舞台古墳に隣接する島庄遺跡(しまのしょういせき)が、蘇我馬子の邸宅跡と推定されていることにも触れておきたい。石舞台古墳の西側、土産物店「あすか野」の西、石舞台駐車場の北にある田んぼからは、7世紀前半の大型掘立柱建物と方形の池が見つかっており、『日本書紀』に登場する「飛鳥河の傍に家せり。仍ち庭の中に小さなる池を開けり……」と描写されている、馬子の邸宅の跡ではないかと推定されている。馬子の死後、子孫を見守るような位置に墳墓が造られたのだろうか。
スポット詳細
- 住所
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奈良県高市郡明日香村島庄
地図
- エリア
- 飛鳥エリア
- 電話番号
- 0744544577
- 時間
- 8:30-17:00(最終受付16:45)
- 休業日
- 年中無休
- 料金
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【入場料】
[一般]300円
[高校生以下]100円
※未就学児童は無料です - 駐車場
- あり(150台)
情報提供: ナビタイムジャパン