第3番札所 金泉寺

寺院

「黄金の井戸」をはじめとする多くの伝説が残る金泉寺

四国八十八ヶ所霊場第三番札所である金泉寺(こんせんじ)は、日照りによる水不足に苦しむ人々のため、空海が掘ったとされる「黄金の井戸」が残る寺院だ。そのほかにも、源義経主従の伝説や長慶天皇(ちょうけいてんのう)の御陵石(ごりょういし)など、見どころが多い。

極楽橋の正面、広い境内の奥に見えるのが金泉寺の本堂} 極楽橋の正面、広い境内の奥に見えるのが金泉寺の本堂

その名から「金運が上がる」ご利益も人気

板野郡板野町にある四国八十八ヶ所霊場の第三番札所、金泉寺。車で向かう場合は、藍住ICから県道12号線経由で進む。第二番札所からだと、およそ10分程度で到着するはずだ。金泉寺は聖武天皇の勅願(ちょくがん)により、天平年間に高僧として知られた行基(ぎょうき)が釈迦如来像を刻み「金光明寺(こんこうみょうじ)」として寺塔を建立したといわれる。のちに境内から出土した瓦(かわら)が奈良時代のものだったことから、ほぼ創建年代は寺伝のとおりだと推定。その後、弘仁年間に、巡錫(じゅんしゃく)中の空海が当地を訪れた際、水不足に悩む人々のために井戸を掘ったところ、霊験あらたかな霊水が湧き出たため、堂宇(どうう)を建立し、寺号を「金泉寺」にあらためたという。金運の上がるご利益があるとされ、お遍路(へんろ)さん以外からも人気が高い。

鮮やかな朱色の山門は左右一対の仁王像が守護している} 鮮やかな朱色の山門は左右一対の仁王像が守護している

本堂に祀(まつ)られた本尊は行基による釈迦如来像だ} 本堂に祀(まつ)られた本尊は行基による釈迦如来像だ

朱色の弘法大師像と源義経主従の伝説

本堂の右側にある大師堂は、2008年(平成20)に改修されたもの。堂内には珍しい朱色の弘法大師の像が安置されている。これは奉納されていた古い絵馬に「海上で嵐に遭い、港の方角がわからなくなった漁師の前に、赤く輝く弘法大師が顕現(けんげん)し、帰るべき方角を示してくれた」という伝説に基づいたもの。退色した弘法大師の像を調査したところ、本来は朱色に塗られていたことが判明し、本来の朱色に復元されたという。また、近くにある八角形のお堂は聖観音(ひじりかんのん)が祀られた観音堂だ。こちらは1185年(寿永4)に、平家と戦うために屋島へ向かう途中で、源義経が戦勝祈願をしたという逸話から、別名「勝運観音」と呼ばれている。重要な決戦の前に軍勢の士気を鼓舞しようと、武蔵坊弁慶が力試しに持ち上げたとされる「弁慶の力石」と一緒に、ぜひ訪れておきたい。

大師堂に祀られた朱色の弘法大師像は非常に珍しい} 大師堂に祀られた朱色の弘法大師像は非常に珍しい

源義経が戦勝祈願をした聖観音が安置された観音堂} 源義経が戦勝祈願をした聖観音が安置された観音堂

武蔵坊弁慶が怪力を披露した伝説が残る「弁慶の力石」} 武蔵坊弁慶が怪力を披露した伝説が残る「弁慶の力石」

のぞき込むと自分の寿命がわかる「黄金の井戸」

大師堂の奥には、弘法大師が掘ったといわれる「黄金の井戸」のある小さなお堂がある。ここに祀られている黄金地蔵尊は、首から上の病にご利益があり、多くの人がなでたことで、ご尊顔がすり減っている。寺号の由来である「黄金の井戸」は、上からのぞき込んだとき「はっきりと影が映れば長寿、ぼやけて映れば短命で終わる」という言い伝えがあり、参拝客のなかでも挑戦する人としない人に分かれるそうだ。隣の建物は閻魔(えんま)堂で、閻魔大王や奪衣婆(だつえば)などの彩色木像が安置されている。そのほかにも、倶利伽羅龍王像(くりからりゅうおうぞう)をはじめ、慈母観音像や満願弁財天像といった多くの仏像が点在。阿弥陀堂である多宝塔や長慶天皇の御陵石など、見どころの多い寺である。

寺号の由来になった「黄金の井戸」の隣には閻魔堂がある} 寺号の由来になった「黄金の井戸」の隣には閻魔堂がある

小さな池に鎮座する満願弁財天像。さまざまなご利益がある} 小さな池に鎮座する満願弁財天像。さまざまなご利益がある

スポット詳細

住所
徳島県板野郡板野町大寺字亀山下66 map map 地図
電話番号
0886721087
料金
無料
駐車場
あり(普通14台、大型3台)
※無料

情報提供: ナビタイムジャパン

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