平和記念公園

公園/緑地

豊かな緑に包まれた公園で恒久平和への思いを新たにしたい

1945年(昭和20)8月6日、世界で初めて原爆が投下された広島。平和記念公園は恒久平和の象徴の地にするために整備され、原爆死没者慰霊碑や広島平和記念資料館といったモニュメントや施設がある。

広島大学教授だった雑賀忠義(さいかただよし)の揮毫(きごう)による碑文。平和の灯の向こうに原爆ドームが見える} 広島大学教授だった雑賀忠義(さいかただよし)の揮毫(きごう)による碑文。平和の灯の向こうに原爆ドームが見える

丹下健三が手がけた象徴の地

毎年8月6日に「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が開催される広島市の平和記念公園。旧太田川が元安川と分岐する三角州の最上流部のこの場所は、原爆投下前は広島市の中心的な繁華街だった。その上空で原爆が炸裂したことから、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地とするために、丹下健三(当時東京大助教授)ら3人の共同作品が広島市のコンペで選ばれた。平和記念公園や設備の整備が進められ、1955年(昭和30)に完成。国指定の名勝であり、2006年(平成18)には「日本の歴史公園100選」にも選ばれている。

広島平和記念資料館から見た公園内} 広島平和記念資料館から見た公園内

原爆ドームをはじめ約60ものスポットが点在

公園面積は12万2100平方メートル。市の中心部だが、高木約1500本が植えられた緑の空間はとても静かだ。鎮魂の空間にふさわしい公園内には原爆の惨状を伝え平和を希求する施設やモニュメント約60が点在する。シンボル的存在は、形状からそう呼ばれるようになった国指定史跡の「原爆ドーム」。もとは広島県物産陳列館だ。広島の宮島とともに1996年(平成8)にユネスコの世界遺産に登録された。「広島平和記念資料館」は、本館と東館があり、被爆資料や遺品、証言などを通じて世界へ核兵器の脅威や非人間性を伝える。本館は、丹下健三設計で戦後建築としては初の国指定重要文化財となった。原爆死没者慰霊碑は、広島平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ直線上に設置された。碑文の「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」はあまりに有名。核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという、「平和の灯」も丹下健三設計だ。ほかに、平和の時計塔や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館がある。

「原爆の子の像」の下には国内外からの折り鶴が捧げられている} 「原爆の子の像」の下には国内外からの折り鶴が捧げられている

「平和の鐘」は「残したい日本の音風景100選」の1つ。鐘の表面には世界地図が浮き彫りされている} 「平和の鐘」は「残したい日本の音風景100選」の1つ。鐘の表面には世界地図が浮き彫りされている

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。被爆後の街並みを表現した追悼空間などがある} 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。被爆後の街並みを表現した追悼空間などがある

昭和初期に呉服屋として造られ、のちに「燃料会館」となった建物を再利用したレストハウス。案内所と休憩所がある} 昭和初期に呉服屋として造られ、のちに「燃料会館」となった建物を再利用したレストハウス。案内所と休憩所がある

たくさんの修学旅行生が訪れる} たくさんの修学旅行生が訪れる

多彩な人々の記念碑も見逃せない

原爆詩人として知られる峠三吉の「ちちをかえせ/ははをかえせ/としよりをかえせ/…」、広島で被爆した作家で詩人の原民喜の「遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ墜つ/天地のまなか/一輪の花の幻」がそれぞれ記された詩碑には見入ってしまう。原爆投下直後の広島に入り多くの被爆者の命を救ったスイス人医師マルセル・ジュノー博士、原爆孤児の心の支えになる運動に尽力した米国の作家ノーマン・カズンズ、米国人平和運動家バーバラ・レイノルズの記念碑なども見逃せない。旧広島逓信局庁舎の中庭にあったアオギリ、旧広島商業高校にあったインドハマユウの被爆木が平和記念公園に移植され、「平和の語り部」になっている。また、公園に架かる平和大通りの2つの橋、平和大橋、西平和大橋の欄干のデザインは、丹下健三が抜てきした世界的彫刻家のイサム・ノグチが手がけたものだ。

スポット詳細

住所
広島県広島市中区中島町1・大手町1-10 map map 地図
エリア
広島エリア
休業日
無休
料金
[入園料]無料
駐車場
なし

情報提供: ナビタイムジャパン

このスポットを紹介している記事

アクセス

map map 地図

最寄り

          周辺の駅はありません。 周辺のバス停はありません。 周辺の駐車場はありません。 周辺のインターチェンジはありません。

          このスポットを共有

          back

          クリップボードにコピーしました