史跡佐渡奉行所跡
江戸幕府の財政を支えた天領佐渡、復元された奉行所でタイムスリップ
人も文化も全国から集まった佐渡金山
両津港から車で約50分。相川の見晴らしのいい高台に佐渡奉行所がある。奉行所の大御門を抜けると目の前に徳川家の三つ葉葵が目に飛び込む。1601年(慶長6)に相川金銀山が3人の山師によって発見されると、徳川幕府はその金を直接支配しようと考えた。結果、佐渡は1603年(慶長8)江戸幕府の直轄地「天領」となり、相川に佐渡奉行所が置かれた。山師、技師、役人をはじめ、商人、材木屋、石屋などがこの地に集まり、相川は金山を中心に約5万人もの人口を抱える巨大な町となった。全国各地から来る人とともに、各地の文化や伝統も佐渡へ流入した。現在でも鬼太鼓、能、無名異焼などその名残を見ることができる。
漆塗りの天井、金の釘隠し。絵図・絵巻・文献から当時を再現
現在見学できる佐渡奉行所は、行政の仕事が行われた「御役所(おやくしょ)」と、採掘した鉱石を細かく砕いて金や銀を選鉱する工場の「勝場(せりば)」の2か所。御役所は2001年(平成13)に、勝場は2004年(平成16)に復元された。大広間の謁見の間は天井に吹き漆が施され、奉行所内でいちばん格の高い部屋になっている。この大広間の釘隠しは金の6葉の葵の紋でできており、武士社会の厳しい階級と絶対的な権力差を意匠から垣間見ることができる。佐渡奉行には幕末までの間に102名が着任した。佐渡奉行の大久保長安(おおくぼちょうあん)は佐渡へ能を広めた第一人者といわれる。地域に根づいた能文化は、現在でも佐渡で楽しむことができる。
行政・司法・金山経営・貨幣鋳造、佐渡奉行所が担った重要な役割
奉行所は行政を行う市役所のような役目と司法を行う裁判所の役目を果たした。下手人が裁きを受け、刑の言い渡しをされる「御白洲」。佐渡奉行所の御白洲はほかの地域のように屋外ではなく、屋内に造られた。これは天候の変化が厳しくとも滞りなく裁判を進めるためである。ほかにも佐渡奉行所は他地域の奉行所と異なるところがあった。行政、司法の役割のほかに佐渡金山の経営と貨幣の製造も担っていたのだ。特に小判の製造を行う「金座(きんざ)」は江戸・京都・駿河・佐渡の全国4か所のみに置かれ、佐渡金山が江戸幕府にとっていかに重要な場所だったかがわかる。
江戸時代の技術の粋を体験!
勝場(せりば)とは鉱石を細かく砕いて金や銀を選鉱する工場のことで、この工場は山中の町にいくつもあった。1759年(宝暦9)、当時の佐渡奉行石谷清昌(いしがいきよまさ)が大改革を行い、町に点在していた勝場をこの奉行所の敷地内に集め--寄勝場(よせせりば)と呼ぶ--合理化を図った。本来の寄勝場の敷地はもっと広く、ここではコンパクトに再現されている。選鉱作業工程は大きく以下の4つに分けることができる。
(1)鉱石を砕く
(2)砕いた鉱石を砂状になるまですりつぶす
(3)粉になった鉱石を水に浸し沈殿した金などを採取する
(4)さらに水に残った沈殿物を回収するため木綿布の上に流す(ねこ流し)
ここでは、金銀の選鉱工程である石うす回し体験や、ねこ流し体験をすることができる。明治時代に洋式技術が導入されるまでは、おもにこのような道具や技術が使われていた。
スポット詳細
- 住所
- 新潟県佐渡市相川広間町1-1 地図
- エリア
- 佐渡エリア
- 電話番号
- 0259742201
- 時間
- 8:30-17:00(最終入館16:30)
- 休業日
- 年末年始(12/29-1/3)
- 料金
- [入場料]大人500円、小中学生200円
- 駐車場
- あり(10台)
- クレジットカード
- 不可
- 電子マネー/スマートフォン決済
- 不可
- Wi-Fi
- あり
- コンセント口
- なし
- 喫煙
- 不可
- 英語メニュー
- あり(英語パンフレット)
- 平均予算
- 【昼】1-1,000円
- 滞在目安時間
- 30-60分
- 車椅子での入店
- 可
- 乳幼児の入店
- 可
- ペットの入店
- 可(小型のペットは抱いていただき、大型のペットはつないで待機していただく)
- 雨の日でも楽しめる
- はい(屋内施設)
情報提供: ナビタイムジャパン