米子城跡
山陰随一といわれた城跡に見事な石垣が残る
大小2つの天守を備えた城は珍しい
米子(よなご)市の中心地、標高約90mの湊山に築かれたのが「米子城」だ。この場所は、北側に丸山、東側に飯山、南西側に中海があり、防御の面でも好適の地だった。山陰で最初に築かれた近世初期の城郭で、山頂に五重の天守閣と四重の副天守(四重櫓)をもち、周囲には2重の堀がめぐらされていた。江戸時代の「一国一城令」で例外的に存続を許された「支城」のなかで、大小2つの天守を備えた城は珍しいという。現在は石垣を残すのみだが、その栄華を伝えるには十分なスケール感だ。天守跡まではふもとから石段と坂道を登っていくが、高台の天守跡からは、米子の市街地から日本海、中海、そして大山まで360度の見事なパノラマが広がっている。
国の史跡に指定された名城の跡
1591年(天正19)頃に、戦国武将の吉川広家(きっかわひろいえ)が米子城の建設を始めたが、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いに敗れ、広家は国替えとなり、中村一忠(なかむらかずただ)が伯耆国領主となって米子城を完成させたという。しかし、1609年(慶長14)に一忠が急死し中村家は断絶。その後は城主の交代が続いたが、一国一城令後も廃城をまぬかれ、1652(寛永9)に鳥取藩家老の荒尾成利(あらおなりとし)が米子城預かりとなって、荒尾家が代々の城主を務めた。明治になって解体され、石垣を残すだけとなったが、2006年(平成18)に国史跡に指定された。石垣は時代によって積み方が違うのが興味深い。
少し急な石段を登って天守跡へ
ふもとには桜の名所として知られる「湊山公園」がある。1907年(明治40)に大正天皇が皇太子時代、山陰を行幸したのを記念して開園した。園から見える夕映えが錦絵のようだということから「錦公園」とも呼ばれていたそうだ。ふもとから頂上の天守跡まで歩いて約15分。周囲の景観を楽しみながらウォーキングを楽しむのがおすすめだ。まず、二の丸の入り口から旧小原家長屋門へ。小原家は、鳥取藩の米子城預かりだった主席家老荒尾氏の家臣。小原家の屋敷は西町にあったが、長屋門は1953年(昭和28)に米子市に寄贈され、米子城跡に移築保存された。長屋門を抜けると少し急な石段が続く。内膳丸わかれにはベンチがあり、ひと休みできる。ここから天守台までは、約10分。天守跡には礎石が残っており、見渡すとすばらしい眺望が広がっているので、この景色を眺めながら、歴史の物語に思いを馳せてみるのもいい。近くには、米子城関連の歴史資料などを展示する「米子市立山陰歴史館」、郷土ゆかりの作家を掘り起こす「米子市美術館」などがあるので、こちらにも立ち寄ってみよう。
スポット詳細
- 住所
- 鳥取県米子市久米町 地図
- エリア
- 米子・皆生温泉エリア
- 電話番号
- 0859235436
- 駐車場
-
あり(普通車41台、ハートフル2台、大型バス6台)
※湊山公園駐車場、米子城跡三の丸駐車場
情報提供: ナビタイムジャパン
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