巌流島
関門海峡に浮かぶ無人島、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地へ!
下関の唐戸桟橋から巌流島へ渡る
日本一有名な決闘といっても過言ではない宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘。その決闘が行われた島として知られているのが巌流島だ。巌流島は通称で正式名は船島、かつては豊前国小倉藩領だったが、佐々木小次郎が佐々木巌流と名乗ったことから、そう呼ばれるようになったという。現在の所在地は下関市彦島船島648番地、関門海峡に浮かぶ無人島で、下関の唐戸桟橋と門司の門司港桟橋から関門汽船の直行便で行ける。唐戸桟橋から乗船して、関門橋、しものせき水族館 海響館、海峡ゆめタワー、下関港国際ターミナルなど、海上から眺める景色を楽しんでいると、10分ほどで巌流島に到着する。桟橋のゲートをくぐって上陸すると、「これがあの有名な巌流島か」という思いが歴史好きでなくともよぎるだろう。
2000年代になって観光地化された巌流島
巌流島は、もとは今の6分の1ほどの小島で、何度も埋め立てられ、現在の周囲約1.6km、面積約10万3000平方メートルの大きさになった。島には、武蔵と小次郎の決闘の話以外にも、豊臣秀吉が名護屋から大坂へ帰る途中に近くの岩礁で船が座礁、転覆して毛利軍に助けられた話や、吉田松陰が上陸して小次郎の墓参りをした話、坂本龍馬とお龍が下関に住んでいた頃、こっそり上陸して花火を上げた話、明治時代以降には周辺が旧日本軍の下関要塞地帯となり撮影が禁止されていた話など、さまざまなエピソードが残っている。また、観光地として整備されたのは2000年代に入ってからで、島の大半を所有していた三菱重工業が一部を下関市に譲渡し、桟橋をはじめ、遊歩道や広場、休憩所などが設置され、定期船も運航されるようになった。
巌流島の決闘は映画やドラマでも人気のテーマ
遊歩道を島の中ほどまで進むと展望広場があり、そこに武蔵・小次郎像が立っている。宮本武蔵は関ヶ原の戦いや大阪の陣にも参陣した二天一流兵法の開祖、相対する佐々木小次郎は豊前国小倉藩の剣術指南。武蔵の伝記『二天記』によると、数多くの戦いを勝ち抜いてきた2人の剣豪による巌流島の決闘は1612年(慶長17)に行われたという。映画やドラマなど、巌流島の決闘をテーマにした数々の作品が作られ、小次郎が戦う前に刀のさやを捨てると、武蔵が「小次郎、敗れたり。勝つ者が何ゆえにさやを捨てるか」と言ったことや、武蔵が小次郎を焦らすためにわざと遅れて、小次郎が「遅いぞ、武蔵。臆したか」と言ったことなどは、後世のフィクションとされているが、そういった想像力をかきたてるものがこの戦いにはあるのだろう。像の建立はNHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の放映がきっかけで、小次郎像が2002年(平成14)12月に、「待たせたな、小次郎」とばかりに武蔵像が少し遅れて2003年(平成15)4月に立てられ、役を演じたTOKIOの松岡昌宏、市川海老蔵(当時は市川新之助)がそれぞれの除幕式に訪れた。木刀を振りかざして宙を舞う武蔵と、三尺一寸(約103cm)の太刀を構える小次郎が関門海峡をバックに立つ像は、巌流島のシンボルとして人気のスポットだ。
そのほかの島の見どころ、そして、必勝タヌキ!
島の奥は開発を行った三菱重工業の私有地なので、公園として自由に散策できるのは3分の1くらいの範囲になるが、ほかに、ステージやBBQサイトを備えた憩いの広場、決闘で敗れた佐々木小次郎をしのんで立てられた佐々木巌流之碑などもある。また、必勝タヌキと呼ばれる野生のタヌキが生息していて、「他を抜く」という語呂合わせから、決闘の聖地・巌流島に、この必勝タヌキに会いにくる人もいるとか。下関を訪れたら、さまざまな歴史やエピソードが残るこの巌流島にぜひ足を延ばしてみたい。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン