稲村ヶ崎
鎌倉・湘南を代表する岩礁の岬
景色を眺めながらのんびりしよう
サザンオールスターズの曲名にもなり、その名を知る人も多い稲村ケ崎。国道134号の海岸沿いで、鎌倉から江の島へのドライブルートとして連日長蛇の列ができる。岬の中腹には稲村ケ崎公園があり、展望台としても人気。晴れた日には江の島と富士山を望め、岬からの眺望は鎌倉一といわれる絶景スポットだ。富士山のすぐ脇に日が沈むので、夕日の時間帯は特におすすめ。遊泳禁止区域なので泳ぐことはできないが、公園内には芝生もあるので、寝っ転がれば気持ちのいい時間が過ごせそうだ。
新田義貞の「鎌倉攻め」にまつわる伝説
鎌倉海浜公園・稲村ケ崎地区は「稲村ケ崎公園」の名で親しまれる国指定史跡。稲村ケ崎に伝わる「竜神伝説」は有名で、1333年(元弘3)、鎌倉幕府を倒すため新田義貞は鎌倉攻めを開始するが、なかなか攻め入ることができなかった。そこで、黄金の太刀を海に投げ入れ竜神に祈ったところ潮が引き、稲村ケ崎を突破できたといわれている。真偽のほどは定かではないが、義貞が稲村ケ崎の崖沿いに鎌倉に突入したことで戦局が変わり、150年続いた鎌倉幕府は終焉を迎えた。公園入り口にはこの伝説が刻まれた「稲村ケ崎碑」が立てられ、その左奥には同様に伝説を詠んだ明治天皇の歌碑も立つ。
「ボート遭難の碑」が語る悲しい実話
公園右手には、多くの観光客が足元をベンチ替わりにくつろぐ兄弟の銅像がある。1910年(明治43)当時、海軍軍人の子弟が多く通う逗子開成中学校の生徒がカッターボートで江の島まで遊びに行った帰りに転覆。12人乗っていた少年のなかには1人、生徒の弟である小学生も混じっていたが、全員死亡してしまう。遺体の少年たちはお互いをかばうように、また兄は弟をしっかりと抱きかかえた姿で発見された。前途有望な少年たちの死を嘆くだけでなく、その友愛と犠牲の精神に敬意を表して建立された慰霊碑がこの銅像だ。台座には亡くなった少年たちの名前と事件の概要、姉妹校であった鎌倉女学校の教師、三角錫子(みすみすずこ)による「七里ガ浜の哀歌」が刻まれた金属板がはめ込まれている。
黒い砂浜の稲村ケ崎は砂鉄海岸
稲村ケ崎はほかの海岸の白い砂とは異なり、キラキラ光る真っ黒な砂浜だ。この黒い砂からは砂鉄が採集され、鎌倉時代にはこれを「たたら」と呼ばれる炉で溶かして刀や鍋、釜を作ったという。今でも砂鉄を採ることができるので、稲村ケ崎に行くときは磁石を持ってでかけよう。なるべく強力な磁石がおすすめ。まるで殻付きウニのように磁石に黒い砂が吸い付いてくる。実験する楽しさも味わえ、子どもたちの自由研究にもぴったりだ。
スポット詳細
情報提供: ナビタイムジャパン
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