島根「加茂岩倉遺跡」古代出雲を彷彿とさせる銅鐸は必見


2021.09.11

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加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)は、島根県雲南市加茂町にある弥生時代の遺跡です。1ヶ所の遺跡から出土した銅鐸の数としては全国最多の39個が発見され、1999年に国の史跡にも指定されています。銅鐸のレプリカや当時の出土状況が分かりやすく展示された出土現場は必見なので、ぜひみなさんも足を運んでみてください。
復元された銅鐸の展示
1996年に農道の工事現場から大量の銅鐸が発見されたことで、加茂岩倉遺跡は全国的に知られるようになりました。見つかった銅鐸は、約45センチメートルのものが20個、約30センチメートルのものが19個の合計39個で、弥生時代中期から後期にかけて鋳造されたものだと考えられています。
出土現場は狭く長い谷の最も奥の位置にあり、銅鐸が埋められていた埋納坑(まいようこう)は工事の影響で大半が壊されていました。しかし、一部がそのまま残されていたことにより、現在はもとの状態に復元され展示されています。
発見された2種類の銅鐸は、「入れ子」と呼ばれる大きい銅鐸のなかに小さな銅鐸を入れた状態で埋められていました。なぜこのような状態で埋められたかは解明されていませんが、約2000年前の様子を再現した展示により、古代へのロマンを感じさせるような工夫がされています。
大量の銅鐸を所有した古代出雲
銅鐸の起源は、中国や朝鮮半島で家畜の首に付けたり、呪術者が占いに使用していたりした小さな鈴だと考えられています。これが日本に伝わると、豊作を祈る祭りの道具や楽器として利用され始めたという説が一般的です。
加茂岩倉遺跡で発見された銅鐸のなかには、シカやトンボなどの模様が描かれたものも存在します。シカは土地の精霊を意味し、トンボは水田の神様を意味すると考えられており、銅鐸はそれらの神様を呼び寄せる力のある鐘だったとみなされています。
加茂岩倉遺跡で出土した銅鐸のうち13個に「×」印が刻まれています。これは3キロメートルほど離れた「荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)」から出土した358本の銅剣のうち344本に刻まれた印と同様のものとなっています。
そのため、この一帯には強大な権力を持った豪族が存在していたと考えられています。さらには『古事記』や『日本書紀』といった歴史書でしか確認できなかった出雲神話の世界を想像させるような巨大な王国や文化圏が、実際にあったと考える研究者もいます。
銅鐸のレプリカが展示されている加茂岩倉遺跡ガイダンス
加茂岩倉遺跡で発見された銅鐸は、2008年に国宝に指定され、現在は出雲市の島根県立古代出雲歴史博物館に保管されています。これまで全国で約470個余り出土している銅鐸のうち、50個の銅鐸が出雲から出土していることから、この一帯が古代日本の中心地の1つだったという証明にもなっています。(掲載写真は銅鐸が発見されたときの様子を再現した展示になります)
また、発見現場に隣接する加茂岩倉遺跡ガイダンスは、銅鐸のレプリカやパネル展示、映像での解説を楽しむことができます。丘陵の両側を繋ぐように設計されたこちらの施設からは、出土現場を遠望することができ、加茂岩倉遺跡への理解を一層深めることができます。 

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加茂岩倉遺跡
place
島根県雲南市加茂町岩倉837-11
phone
0854497885
opening-hour
[ガイダンス]9:00-17:00
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