いざ鎌倉!横浜鶴ヶ峰の古戦場で散った「畠山重忠」の史跡を巡る


2020.11.21

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鎌倉時代、源頼朝への忠誠心をつらぬいて「いざ鎌倉!」と向かう途中、現在の横浜市旭区鶴ヶ峰付近で騙し討ちにあい、命を落とした武将ヒーロー「畠山重忠」。
そのまっすぐな人柄をしのんで、「首塚」「畠山重忠公碑」「さかさ矢竹」「六ッ塚」など、鶴ヶ峰周辺にはゆかりの史跡がたくさん残っています。
今も多くの人々の心をとらえている、忠誠心のヒーロー畠山重忠に思いを馳せて、その史跡をめぐってみましょう。
鶴ヶ峰駅周辺「鎧の渡し緑道」と「首塚」
畠山重忠は鎌倉時代に活躍した武将で、源頼朝にとても信頼されていました。
鎌倉幕府をひらいた際、華やかに京都入りした隊列の先頭をつとめたのが、畠山重忠。また頼朝が亡くなる時、子どもたちの事をお願いしたのも、重忠だといわれています。
重忠は、埼玉県深谷市に生まれ、普段はそこに屋敷をかまえていました。源義経とともに一の谷や屋島で平氏と戦い、奥州征伐でも大活躍。
そんな畠山重忠や鎌倉時代に思いをはせながら散策できるのが、相鉄線鶴ヶ峰駅から徒歩3分ほどの「鎧の渡し緑道」。
鎌倉時代の武士が鎧を頭上にかかげて川をこえたことから「鎧の渡し」と呼ばれていたそうです。現在は、帷子川跡地を利用してプロムナードとして整備されており、木や花に心癒される散策道となっています。
鎌倉幕府で大活躍をした畠山重忠でしたが、頼朝亡き後、北条氏の権力争いにまきこまれ、幕府の危機かと「いざ鎌倉!」と向かう途中、だまされてここ鶴ヶ峰付近で討ち死にしました。
そばの河原に井戸があり、切られた畠山重忠公の首を洗った井戸があったという伝説も。「鎧の渡し緑道」をしばらく散策した先、旭区役所の敷地内にその歴史を記した案内の札が静かに立っており、当時の名残を物語っています。
旭区役所そばの住宅街には、重忠の討ちとられた首が祀られている「首塚」があります。重忠の鎌倉への気持ちがあまりにも強く、討たれてから鎌倉方面に首が飛んで行った、とのエピソードもあるそう。今は閑静なこの場所に、穏やかに祀られています。
源義経が敵の背後から一気に坂を下って攻めた、有名な「ひよどり越えの逆落とし」。体力自慢の重忠、自身の馬をケガさせてはいけないと、背負って下ったという豪傑エピソードがあります。重忠の優しい人柄がよく表れていますね。
また、静御前が、鶴岡八幡宮で義経を偲びつつ舞いを舞った際には、重忠が銅拍子を打って伴奏をつとめたそう。畠山重忠は武勇だけでなく、音楽などの幅広い教養を身につけていたことが分かります。
<畠山重忠公首塚の基本情報>
住所:横浜市旭区鶴ケ峰1丁目3-7
アクセス:相鉄線鶴ヶ峰駅徒歩5分
古戦場の歴史を伝える「畠山重忠公碑」「さかさ矢竹」
「首塚」から徒歩3分ほどの旭区役所先、帷子川を見下ろす高台にある「畠山重忠公碑」。この碑は、重忠没後750年を迎えた昭和30年に、ここ鶴ヶ峰と、重忠のふるさとである埼玉県川本村(現・深谷市)の有志により建立されたものです。
「主君の一大事、いざ鎌倉!」と急ぎかけつけるため、重忠は手元の134騎のみで埼玉県から出発し、ここ鶴ヶ峰付近にさしかかりました。
そこで、先に行かせた息子の重保が謀反人として由比ガ浜で討たれたことを知り、自分に数万の大軍が向けられていることを知るのです。
家臣は一度埼玉県にもどって、軍勢を立て直すことを進言しましたが、重忠は「一時の命をおしんで、かねてより陰謀があったとうたがわれるよりは、ここでいさぎよく戦う。」と家臣に告げます。
その決意に、全員がときの声を上げ、二俣川のほとりで数万の軍勢に立ち向かい、4時間も激しい戦いをくり広げ、最後には全員が戦死。その古戦場にちなんで周辺は万騎が原という地名になっています。
帷子川のほとりに立つ重忠の公碑は、戦乱の歴史をいまは静かに思い返しているような静寂の佇まいです。
公碑のそばには、重忠が最後に矢にあたった際「我が心正しかれば、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と地面につきたて、根付いた矢が毎年2本ずつ増え、茂りつづけたと言われている「さかさ矢竹」の由来を書いた札があります。
札の脇に生えているさかさ矢竹は、地元の有志が、再びその繁栄を願ってこの地にあらためて植えたもの。実際の跡地は、現在は川が埋め立てられ、その面影がなくなっています。
<畠山重忠公碑・さかさ矢竹の基本情報>
住所:横浜市旭区鶴ヶ峰本町1丁目1
アクセス:相鉄線鶴ヶ峰駅北口徒歩8分
塚マニア必見!畠山重忠と一族が眠る霊堂「六ッ塚」
畠山重忠をはじめ一族郎党を埋めたとされている薬王寺「六ッ塚」は、畠山重忠公碑から徒歩5分ほど。国道16号を渡って路地に入った、閑静な住宅街の中にあります。
お墓ではなく、珍しい「塚」が6つもある薬王寺は、塚マニアにとっても魅力あるスポットになっています。六ッ塚を見学するだけなら、入場料は不要。毎年命日である6月22日には慰霊祭が催されます。
白い「六ッ塚」の案内板には、畠山重忠がここ鶴ヶ峰で無念に散ったエピソードが。その中の「畠山重忠公は知仁勇の三徳を兼備えた武将で今なお親み慕われている」という言葉は、武勇だけでなく知性があり、芸術にもあかるかった重忠の人柄をよく表しています。
数万の兵との数時間の激戦の末、134騎の重忠勢はこの地で全員討ち死にしました。この薬王寺の境内や周りに6つの塚、6か所に葬られているといわれています。
真ん中がこんもりと高くなっている小山のような大小6つの塚。周辺には、周りの草木にまぎれてしまいそうな、5つの小さな丸い塚があちこちに。横浜の住宅街でこれを見ることができるとは、とても貴重ですね。
塚の中でも一番大きく、「畠山重忠公の精霊」と書かれている境内左の一番大きな塚が、重忠のものでしょうか。塚に関してはさまざまな説があります。
境内を出て左側の小さいスペースがとられている場所に、畠山重忠公の仏像があります。その優しい顔立ちは、厳しい時代だった鎌倉武将の影はみじんもなく、周辺の緑を背景にとても安らかな表情をたたえています。
今は平和な横浜・鶴ヶ峰のこの地で、信頼できる仲間と共に、畠山重忠は心穏やかに現代の人々を見守っているのかもしれません。
<薬王寺(六ッ塚・重忠公霊堂)の基本情報>
住所:横浜市旭区鶴ケ峰本町2丁目15-9
電話番号:045-951-1390
アクセス:鶴ヶ峰駅徒歩13分 

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